猪瀬直樹氏の“恋人”蜷川有紀氏。女優から画家へのシフトは自然な流れだった
生前、「世界のニナガワ」とも称された演出家・蜷川幸雄氏の姪で、元東京都知事で作家の猪瀬直樹氏と交際中の画家・蜷川有紀氏が、東京・汐留のパークホテル東京で開催中の個展が好評を博している。
1年半の歳月をかけて描き上げた3m×6mの大作『薔薇のインフェルノ』がとりわけ目を引く作品群のテーマは、ルネサンス期のイタリアを代表する詩人・ダンテの『神曲 地獄篇』だ。有紀氏はアートへの想いをこう語った。
「子供の頃から、父が毎日詩作に耽っているのを見てきたので、幼心に芸術への憧れを抱いていました。それに、伯父は油絵画家で、創作のためにエチオピアに移住までしてしまうような人で、父が私に絵を習わせようとしたところ、伯父は『絵は習うものではない』と言ったそうです。どういう意味なのか……芸術の本質的な部分を少女の頃から考えていました」
父は詩人・水野陽美氏、伯父は画家・水野富美夫氏、叔父は演出家・蜷川幸雄氏、そして妹は女優・蜷川みほ氏、従妹は写真家・蜷川実花氏……と、有紀氏は、錚々たる面々を親族に持つアーティスト・ファミリーの一員でもある。演出家・蜷川幸雄氏といえば厳しい稽古で知られ、ときには俳優に向かって灰皿が投げつけられるエピソードが有名だが。
「確かに、灰皿が飛び交うのは見たことはあります(苦笑)。厳しい人なので、一緒に仕事をしたときは、本当に大変でした。ただ、早くに亡くなった父の代わりに、幼い私は動物園や遊園地にずいぶん連れていってもらいました。少女の頃、有名になる前の叔父が、アンダーグラウンドの芝居をやっていたのを目にしていました。アートシアターで夜9時に開演するようなワイルドな世界でしたが、ほどなく叔父が時代のスポットライトを浴び、華々しく活躍するようになっていくのを見て、自分も創作する人間になりたい! って強く思ったんです」
そんな表現欲求が最初にかたちになったのが、1978年の女優デビューなのだろう。劇作家のつかこうへい氏が構成・演出を手掛けた『ロックオペラ サロメ』の主役に、3000人の応募者のなかから選ばれたのは高校2年生の有紀氏だった。
「単に、『女優になりたい!』というより、『サロメ』を演じたかった。当時、私は本名でオーディションを受けていたので、つかさんは蜷川幸雄の姪だとは知らずに私を主役に抜擢したんです。右も左もわからない私も制作発表に出ることになり、叔父に何て言えばいいか尋ねたら、『たかが芝居だから、軽い気持ちでやってみろ』と教えてくれた。まだ子供だった私は、記者会見で教えられたとおりに話したものだから、翌日からマスコミは大騒ぎするし、つかさんは滅茶苦茶に怒るし大変でしたね(苦笑)。蜷川幸雄の姪であることをずっと隠しておくのも変だし、オーディションに合格後、打ち明けました。すると、つかさんは『絶対にマスコミに言わないように』と口止めしたんですが、叔父は私が女優デビューしたのが嬉しかったらしく、雑誌のインタビューで『あれは僕の姪なんだな』って自慢げに喋っちゃったんです(苦笑)。もう最悪でしたね」
厳しい演出で知られるつかこうへい氏だけに、少女だった有紀氏は大変な苦労をしたという。
「17歳で演技経験もない私に、いきなり『ここは田んぼで、君はサロメの台詞を言いながらあぜ道を歩いてきて、肥溜めに落っこちる。それから農夫に犯される。やってみろ! ヨーイ、ハイ!』っていう具合(苦笑)。今は笑えますが、当時の私はあまりのショックで、稽古場の片隅で泣きながらつかさんを睨みつけると『たかが芝居なんだから、軽い気持ちでやってみろ!』って怒鳴られて……私が会見で言った言葉に、本気で怒ってたんですね。マスコミには『反抗する新人女優』とか書きたてられるし、大騒ぎになっちゃって大変でした」
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蜷川有紀展『薔薇の神曲』
ダンテの『神曲 地獄篇』をテーマに、高さ3m×幅6mの大作『薔薇のインフェルノ』、ダンテの永遠の女性『薔薇のベアトリ―チェ』、地獄での罪を償う『浄罪山』など、赤と青で構成された蜷川の新作を展示。パークホテル東京のアートラウンジが『神曲』の世界観で埋め尽くされる!
2017年5月29日(月)~6月18日(日)
於・パークホテル東京25階アートラウンジ
◎蜷川有紀在廊日
会期中、毎週火、水、金、土、14:00~17:00、および最終日。
ギャラリーツアー毎週水、土 14:00~14:30
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