元スポーツ選手の国会議員はこれだけ国会に送り込まれている
セカンドキャリア――この言葉を聞いて、真っ先にイメージする職業の筆頭がスポーツ選手だ。その理由は、彼らの圧倒的な知名度とポジティブなイメージによるところが大きい。
オリンピックの時期にはテレビのスポーツニュースや新聞の一面を独占し、金メダリストとなれば知名度は圧倒的。さらには国民を感動の渦に包んだプレーによって彼らには自然とポジティブなイメージを持たれることが多い。
なかでも、トップレベルの選手ほど選びがちなのが、タレントや国会議員の道だ。
現役時代の知名度を武器に、テレビに出演すれば多くの視聴者が注目。情報番組での的確なコメントやバラエティでのイジられ芸を身に着ければ、引退後もタレントとして活躍できる可能性が高いからだ。
だが、芸能界は流行り廃りが激しい業界。引退後タレントに転身したものの、今やまったくその名を聞かなくなった元アスリートは少なくない。
いっぽう、国会議員は別だ。
特に任期が6年と長い参議院ならば、当選してしまえばそのまま続けられる可能性が高い。特に、支持率の高い政党から出馬すれば、言葉どおり”勝ち馬”に乗り続けることができる。
「10年後、ヤワラちゃん(谷亮子)は選挙に出ていると思う」とは、伝説のコラムニスト・ナンシー関が残した名言だが、事実、谷亮子は2010年の参院選挙に民主党から出馬し当選。その後、彼女は現役生活を途中まで続けながら一期議員を務めた。
谷の事例にかぎらず、元スポーツ選手から政治家に転向したケースは少なくない。そこで本記事では元スポーツ選手で政治家を務めた意外な人物を紹介していこう。
まずは野球界。阪神などで活躍した江本孟紀はアントニオ猪木を中心に結成されたスポーツ平和党から1992年に参議院選挙に出馬し初当選。2004年に大阪府知事選に立候補するまで10年以上に渡って国会議員を務めた。
ほかにも、1990年代に近鉄、横浜などで活躍した石井浩郎は2010年参議院選挙に自民党で初当選後、2016年には参議院文教科学委員長に就任。同じ2010年参議院選挙では元巨人の堀内恒夫も自民党から比例代表で出馬しているが落選している(その後堀内は繰り上げ当選を果たし、2016年に落選)。
野球界に対し、サッカー界からの政治家転向組は少ない。目立つのは1968年のメキシコ五輪で得点王に輝き、その後ガンバ大阪の監督を務めた釜本邦茂くらいだろう。釜本は1995年の参議院議員選挙で自民党から出馬して当選。2001年の落選後は日本サッカー協会の顧問を務めている。
これだけいる!元スポーツ選手の国会議員
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