更新日:2021年08月05日 08:57
スポーツ

「苦しかったし、本気で辞めたいと思った」リオ五輪金・レスリング川井梨紗子の苦悩と希望

<第7回>川井梨紗子(女子レスリング58kg級代表/リオ五輪女子63kg級金メダリスト)

「苦しかったし、本気で(競技を)辞めたいと思ったこともありました」 川井梨紗子1 険しかった2020年東京五輪までの道のりを、レスリング女子57kg級代表の川井梨紗子(25歳・ジャパンビバレッジ)は、しみじみとそう振り返る。  初めて出場した’16年リオ五輪は、女子63kg級で金メダル。東京五輪では、そこから1つ階級を下げたところで連覇に挑むことになったが、それが思わぬ波紋を呼ぶことになった。同じ階級にリオで58kg級を制し、五輪4連覇を果たした伊調馨(35歳・ALSOK)がいたからだ。  東京五輪代表の内定条件の1つは、’19年9月に行われた世界選手権(カザフスタン)でのメダル獲得だった。結果的に川井は’18年12月から’19年7月にかけて行われた伊調との4度の対決を3勝1敗とし、世界選手権代表の座を掴むと、その世界選手権でも金メダルを獲得したことで東京五輪への出場権を勝ち取った。  しかし、五輪の歴史でも稀な2人の金メダリストによる選考レースの過程は、川井にとって過去にない試練だった。 川井梨紗子2 川井はこう続ける。 「大学の先輩でもある馨さんは、(吉田)沙保里さんとともに私にとっては雲の上の存在。私もレスリングをやっていなければ五輪の5連覇を目指して復帰した馨さんを応援しますよ。ただ、私はリオの前から馨さんに勝ちたいという気持ちでやってきて、その気持ちのまま臨んでいたのに、世間はそう見てくれなかったというか……。  純粋に五輪のチャンピオン同士の対戦として注目されればよかったんですが、そうじゃなかったですよね。メディアやSNSなどで誤った情報が流されたり。それこそがプレッシャーでしたね」  川井にとっては、五輪4連覇のほか、10度の世界選手権優勝など長く絶対王者として君臨してきた伊調を倒すということだけでもハードなミッションだというのに、メディアを含めた世論は国民栄誉賞にも輝いた伊調をあと押しするムードに包まれた。ともすると、川井はそんな国民期待の選手の前に立ちはだかるヒール役にあてがわれてしまったと言える。  振り返れば、川井はリオでも伊調と同じ58kg級(東京五輪の新区分では57kg級にあたる)で挑むつもりだった。ただ、そのためには伊調と1つの代表枠を争うことになり、まだ21歳と若かった川井は周囲からの助言もあり、悩んだ末にリオに限り階級を1つ上げ金メダルに輝いたという背景があった。だからこそ、次こそは本来の57kg級で勝負したい。川井にとって東京で階級を下げることは当初からの予定だったのだ。  しかし、そんな事情も知らない巷では、当時日本レスリング協会・栄和人元強化本部長からのパワハラ問題が取りざたされていた伊調を潰すために協会が川井の階級を下げたとか、川井が62kg級の妹の友香子(22歳・至学館大学)とともに東京五輪に出たいがため急に階級を変えたなどとの憶測が一人歩きしてしまった。 「おそらく世間のみなさんはリオで金メダルを取ったことで私のことを知ったと思うんです。私は元々いまの階級で、リオのときだけ上げていただけなんですけどね。  馨さんと戦わずに逃げたと思われるのは嫌でしたし、東京では57kgに戻すつもりでした。ただ、そうした話をいくらしても、伝わらなくて……。いろいろな考えの人がいるんだなって勉強になりました(苦笑)」 川井梨紗子3 そして、それまで3度対戦しながら1度も勝ったことがなかったにもかかわらず、3勝1敗と勝ち越した伊調との選考レースについてはこう振り返る。 「(’18年12月の全日本選手権は1次リーグで伊調から初勝利を挙げるも)最初の決勝で負けた時は、まだ次の6月の選抜(全日本選抜)で勝てばプレーオフにつながるという状況でしたけど、勝ち負け関係なしに変な注目を浴びるくらいならレスリングをやめようと本気で考えました。その年の年末は実家に帰り、親にも『もう無理、やめる』って言っていましたから。  ただ、母から『勝ち負けに関係なく梨紗子が自分のレスリングをやり切ったところが見たい』と言われたり、(同じく東京五輪を目指していた)友香子が何も言わずにトレーニングに励んでいる姿を見て、徐々に気持ちが戻ってきたというか。12月の対戦時は馨さんが(約2年の)休養から復帰したばかりで、私も現役の世界チャンピオンとして絶対に勝ちたいと思っていました。  でも、そこで負けたことで、6月の選抜はもうあとがなく、とにかくやり切るという覚悟でいったら勝てて、プレーオフも守りに入ることなく自分のレスリングをやり切ることだけに集中していたら勝つことができました。プレッシャーはなかったというか、追い込まれ過ぎてもうやるしかない、そんな感じでした」
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勝ったほうが五輪。異例の注目を集めた伊調馨との最終決戦
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