エリート芸人・真空ジェシカが語る“まさかの初舞台”…アンケートには「交通費返せ」
『M-1グランプリ』で、2年連続ファイナリストとなった真空ジェシカ。
抜群のセンスで大学お笑いの賞レースで好成績を残し、事務所にスカウトで入った経歴を見ると、向かうところ敵なしだったように思えます。
しかし、己を貫き、己のお笑いを認めさせてきた彼らにも初々しい初舞台がいくつもあったと言います。
本記事は『First Stage 芸人たちの“初舞台”』(扶桑社刊)より一部抜粋したものとなっています。
――おふたりとも子供のころから芸人に憧れていたんですか?
川北 僕は芸人になりたいっていうよりも、テレビでふざけたいと思ってました。
テレビで大人がふざけてお金をもらってることを知り、「なんていい仕事があるんだろう!」って。
――川北さんのお父さんは社長をされていますよね。「テレビでふざけたい」っていうのは、まじめに成功したお父さんへの反発があったんですか?
川北 いや、それはないです。父親は大好きなんで。ただ、憧れの存在ではあるんですけど、なんとなく大変そうには見えてて。
まじめにコツコツ働くよりは、テレビでふざけて億単位の年収をもらう芸能人のほうがいいよなと思ってました。
だから、ふざけてる人が好きで、ツッコミが嫌いでしたね。せっかく楽しんでるのに水差すなよって。
――ガクさんはどうでしたか。
ガク 小中学生のころに『オンバト(爆笑オンエアバトル)』(NHK)や『エンタの神様』(日本テレビ)をみんなと同じように観てる感じで。
「芸人になりたい!」とは思ってなかったですね。
――ふたりは大学生のときお笑いサークルに入り、芸人活動を始めます。川北さんは慶應義塾大学のお笑いサークル、ガクさんは青山学院大学のお笑いサークルに入ります。当時はお笑いサークルってメジャーでしたか?
川北 全然ですね。お笑いサークルの存在を知ったのも大学に入ってからでした。
ガク 僕は軽音サークルに入ったんですけど活動が少なくて余裕があったんで、お笑いサークルにも入りました。軽音のほうは、半年もせずに辞めちゃいましたけど。
――どんな音楽をやってたんですか。
ガク ユニコーンのコピーしてましたね。僕はベースでした。メンバーはみんなサークルの余りもので。練習嫌いだし全然上達しないし、誰もサークルになじめなくて、みんな辞めました。
川北 初めて聞いたな。なんてバンド名だったの。
ガク なんだっけなぁ……。あ、思い出しました。「ソイ」です。豆です。
大学卒業後、ソイのメンバーで一度だけ集まったんですけど、誰ひとり就職してなかった。
川北 ソイ、まだ可能性あったんじゃない? みんな諦めてなかったんだよ。
ガク あはは(笑)。ひとりいた女の子も女流麻雀士になってたりして。誰もちゃんとした仕事をしていなかった。
川北 ちゃんとした職業ですけどね。
ガク 食えてはなかったから。コスプレして、麻雀して、食えてない人。
川北 いいじゃん、夢持ってがんばってんだから。
ガク もう辞めてパチンコ屋に就職したけど。
――川北さんはどうでしたか。
川北 僕は最初剣道部に入ったんですが、活動がしんどすぎて。辞める口実を探してるときにお笑いサークルを見つけて。
もともと芸人になりたい気持ちはあったので、そっちに移りました。だからお笑いサークルに入ったのは夏前でした。
テレビでふざけてる人に憧れた
大学時代はお笑いサークルに
『First Stage 芸人たちの“初舞台”』 注目の若手お笑い芸人10組 駆け出しの頃の記憶 |
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ