“北海道の限界集落”にあるゲストハウス。周りに何もないのに「年間売上は1000万円超」オフシーズンも予約が埋まるワケ
北海道南西部に浮かぶ奥尻島。人口はこの30年で半減している。そんな奥尻島に、人々が「何もない豊かさ」を求めて集うゲストハウス「imacoco(イマココ)」がある。
――奥尻島でゲストハウスを開業した経緯を教えてください。
外崎雄斗(以下、外崎):僕は大学時代に休学して、バックパッカーとして世界中を旅していたんです。その時、一番印象に残ったのは世界遺産や名所ではなく、旅人や現地で出会った人との交流でした。いろんな人との出会いを通じて「人生を自由に生きていい」ということに気づいた。
それは当たり前のことなのに、僕にとっては新鮮なことでした。学校で進路を考える時に、名の知れた大学や企業に入ることが王道とされているような風潮があるような気がして。そんな風潮に染まっている自分はヤバい……と危機感を持ちました。そこで2つの夢を持ったんです。
外崎:1つは、生徒に様々な生き方を提案できる教師になること。もう1つは、自分の人生の幅が広がるきっかけとなった「出会いの場所」を作ることです。
大学卒業後、1つ目の夢を実現するべく高校教師になりました。生徒に「決まりきったレール通りに生きる必要なんてない」と、自分で人生を選ぶことの大切さを伝えました。その後、妻の父親が体調を崩したため、教師を辞めて妻の実家のある福井で家業の農家を手伝いました。そして、いよいよ自分の夢だったゲストハウスを立ち上げようと思い、単身で札幌に戻ったんです。
どこでゲストハウスを始めようかと考えていた時に思い出したのが、僕が高校生時代に父親が話していた奥尻島のこと。父親が1人で釣りに行った時に定宿としていた奥尻島の民宿の主人から「後継がないから、誰か継いでくれないか」と言われていたんです。そのことが気になって、父親に「以前話していた民宿はどうなったの?」と聞いたら、「先週行ったら、宿を閉める前の最後の客だったよ」と。その瞬間、全身鳥肌が立ち、「呼ばれている」と感じて、民宿を引き継ぐ決意をしました。
オーナーの外崎雄斗さん(35歳)は、もともと高校教師だった。父親が常連だった奥尻島の民宿が後継者不足のために廃業すると聞き、その場所で長年の夢であったゲストハウスを営むことを決意した。当時、自身は一度も奥尻島に行ったことがなかったが、「ピンときた」のだという。
直感に従って、奥さんと子ども2人を連れて奥尻島の中でも秘境と呼ばれる限界集落に移住。半径15km圏内に飲食店も商店もない地域でオープンしたゲストハウスは「人と自然」「人と人」を繋ぐサービスが人気を呼び、オフシーズンもリピーターで予約が埋まるほどだ。直感の赴くままに自由に生きる外崎さんは、一体どのように奥尻島で生計を立て、何を目指しているのか。
運命に導かれるように奥尻島へ
妻の父親が体調を崩して退職
大阪府出身。外資系金融機関で広報業務に従事した後に、フリーのライター・編集者として独立。マネー分野を得意としながらも、ライフやエンタメなど幅広く執筆中。ファイナンシャルプランナー(AFP)。X(旧Twitter):@COstyle
記事一覧へ
記事一覧へ
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ
日刊SPA!の人気連載