「推しがいることは幸福で残酷」オタクの執着と暴走を描いた衝撃作/村雲菜月・著『コレクターズ・ハイ』書評
―[書店員の書評]―
世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
コロナ禍が明けた渋谷では、アイドルやアニメに傾倒した幅広い世代のファンたちをよく見かける。楽しそうな様子だけれど一方で、心の底から無条件にみんな幸せなのかとも考えてしまう。例えばファンのあいだでも「推し」への想いは全て同じではないはず。なかには関わることで疑問や悩みも出てくるのではないか? 今回紹介する村雲菜月の小説『コレクターズ・ハイ』は、そんなさまざまな心情を丹念に描く作品だ。
主人公の三川は玩具会社でカプセルトイの企画に携わる20代の女性。社内でグッズ製作に関わるが、いくら提案しても上司に認められない悩みを持つ。もやもやが募る日常を送るが、彼女には絶対的な癒やしであり味方がいた。丸くて可愛い〈凪のような顔と緩やかな動き〉が特徴的で、いつでも自分を励ましてくれるキャラクター「なにゅなにゅ」だ。
情報をいち早く仕入れ、時には多額のお金をかけてグッズを集め、自宅はなにゅなにゅで一杯になる。そんなある日、ゲームセンターのクレーンゲームに四苦八苦していると、たまたま出会った森本というサラリーマン風の男性に、欲しいグッズを代わりに取って貰う。三川は金銭でお礼をしようと思うが、ゲームが得意な彼に提案されたのは、「彼女の頭を撫でる」という行為だった。
以前から定期的に行っている癖毛矯正で綺麗に整えられた頭髪を、対等にギブアンドテイクな感じで相手へ向ける。普通に考えれば嫌悪を覚えるはずだが彼女は、〈欲しいものが手に入った喜びと、自分の一部が何かの役に立った達成感がないまぜになり、軽い空気が身体中にまわっていくような全能感があった〉(P17)と思う。推しへの愛と熱量と自分の存在が認められたという彼女に、違和感を持つ読者もいるだろう。でも一方で、二人の心のなかをあれこれ想像できる気がして、興味深く読み進められる。
さらに彼女は他のファンと比較して、愛する推しに自分はおこがましい態度を取っていないかと考える。それぞれ比べることで立ち位置がクリアになり、ファンたちの多面的な世界が広がる。さらに社会にいる他の人々、例えば仕事熱心で結果を出す職場の先輩の行き過ぎたある行為を見た時、次のように気づく。
〈人に迷惑をかけていると自覚し出すと、時間は引き伸ばされたように長く感じられるものだ〉(P84)
いつまでもこのままの生活で良いのだろうか。趣味に没頭する自分を観察する冷静さと、推しのためなら手段を選ばない興奮が、彼女のなかで綱引きをする。それは仕事においても行われることで、先ほどの商品を売るべく研究を重ねる職場の先輩や、髪を綺麗に仕上げたいと、これまで積み重ねた技術を客に施す美容師も同類ではないか。
〈趣味であれば下手したら捕まるような行為が、仕事という大義名分を得て光ってさえ見える〉(P94)と感じる彼女の視点は鋭い。社会において感情や物事を消費する/されるを繰り返すなかで、もしかしたら推しにハマるファンたちと同じ立場なのではと、こちらも考えてしまうのだ。
我々は他人の趣味嗜好を自分の物差しで図り、あれこれ意見を言ったり判別をしがちだ。しかし、みんなが等しく共感できなくても、それぞれの違いを目の当たりにして認識し合うのは、とても大事なことではないだろうか。その上で、本書で描かれる掛け替えのない憧れの存在から与えられる肯定感と、そこから得られた一時の幸福を、どこまでも追い求めてしまう残酷さに、自らの姿を認めてしまう読者も多いはず。多様性が重視されている今の世の中において、ぜひ読んで貰いたい作品だ。
評者/山本 亮
1977年、埼玉県生まれ。渋谷スクランブル交差点入口にある大盛堂書店に勤務する書店員。2F売場担当。好きな本のジャンルは小説やノンフィクションなど。好きな言葉は「起きて半畳、寝て一畳」
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