更新日:2024年06月24日 10:24
エンタメ

脳卒中で倒れて数百万円を息子が肩代わり。“小さな古畑任三郎”ツートン青木64歳が語る、闘病生活

 フジテレビ系人気ドラマ『古畑任三郎』が放送30周年を迎えるにあたって、ふたたび話題になっている。30周年を記念した再放送が5月24日より始まると、昔からのファンのみならず、自宅で家事や子育て、在宅ワークをしている人たちから支持を集め、新たなファンを獲得しようとしている。
“小さな古畑任三郎”ことツートン青木

通称“小さな古畑任三郎”ことツートン青木さん

 前半は、通称“小さな古畑任三郎”ことツートン青木さん(64歳)の古畑任三郎についての熱い思いを聞いたが、後半はツートン青木さんがものまね芸人を目指したきっかけや、息子の青木隆治さんについて、脳卒中で倒れた後の闘病生活などを聞いた。

本当は歌手志望だった

――ものまねを始めたきっかけはなんだったのでしょうか? ツートン青木(以下、ツートン):ものまね自体は子どもの頃から好きでやっていたのですが、デビューのきっかけとしては、最初は国鉄で働いていて、辞めた後ダンプカーの運転手をやっていました。本当は歌手志望だったんですが、歌手になれなくて。ダンプカーの運転手をやりながら、ショーパブでものまねカラオケをやっていたら、オーディションのお誘いとかが結構きまして、テレビに出させてもらえるようになった流れですね。 ――その時から古畑任三郎のものまねをされていたんですか? ツートン:最初は古畑のものまねではなく、田村さんのものまねをしていたんです。ものまねをしながらカラオケを歌っていると間奏がありますよね。そこの間を持たせるために何かやりたいなと思っていて、合間に田村さんのものまねをしたらウケたんですよ。  ショーパブのお客さんのいるところで、田村さんのマネで「そこに100円が落ちていますよ」と言うと、みんな見るんですけど、その後に「嘘ですよ」と言うと、「なんだよ!」みたいな感じでウケるんです。それで、「ああ、田村正和のものまねってウケるんだ」と認識しました。そこから、ずっと田村さんのものまねばかりやるようになりました。

コージー冨田の勧めで“古畑任三郎”を

“小さな古畑任三郎”ことツートン青木

ツートン青木さん

――それで田村さんのものまねをするようになったのですね。 ツートン:いや、すぐにはやりませんでした。でも、それを見たコージー冨田さんが「ツートン青木は田村正和に声質が似ているから、ちゃんと服を着て古畑任三郎をやったほうがいいよ」とアドバイスをくれたんです。ただ、「ちょっと待ってよ!キャラが全然違うし、2枚目は無理だよ」って言っていました。  でも、試しにものまね番組に出た時に古畑任三郎をやってみたら、ウケて、レギュラーで出させてもらえることになりました。今まで、ものまね番組には単発では出させてもらえるんですが、何か一発キャラとか個性みたいなのがないと……といった状況で、レギュラー出演というのは無理だったんです。    でも、古畑任三郎を始めてからレギュラーをもらえるようになった。しばらくはひたすら古畑任三郎を求められていましたね。当時はやっていたミニモニを踊りながら古畑をやったこともあります(笑)。
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家が全焼して一文無しに
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’92年神奈川県鎌倉市出身。ライター業、イベント企画、映像編集で生計を立てています。レビュー、取材、インタビュー記事などを執筆。Twitter:@yamazaki_naoya

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【ツートン青木復活&バースデーコンサート】
2024年7月14日 開場15:00、開演15:30~18:00予定
小田原三の丸ホール(大ホール)にて開催予定
プレミアム席5000円、全席指定SS席にて販売中
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