商社を辞め“やりがい”目指してオーストラリアに渡った20代男子の挫折「医療費を見てあぜんとした」
グローバル化が進む今、留学や海外就労のハードルも下がりつつあります。ましてや円安の昨今、給与額も日本の数倍であることはよく知られています。
商社マンであった父親の転勤により、幼い頃から海外生活が長かった新井さん(仮名・25歳)は、日本の大学を卒業した後、父親と同じ職業に就きました。
「就職を相談した際、父から『大変な仕事だぞ』と言われながらも、いざ内定をもらったときは一番喜んでくれました。私もいろいろな国に出向き、父のように仕事をがんばりたい気持ちでいっぱいでした」
そのような夢を抱いていた新井さんですが、入社早々配属されたのは国内の食品関連のプロジェクトチームだったそうです。
「海外赴任どころか、日本全国を飛び回る地方営業がメインで、その合間にクライアントと打ち合わせをしたり、工場の視察などをしたりと、理想とはかけ離れた業務の日々でした。しかし、海外で働きたいという思いが忘れられず、この仕事を続けるべきか悩んでいました」
そんな中、インターネットで目にしたオーストラリアの水産ビジネスに特化した商社に興味を持ったそうです。
「詳しく調べてみると、日本を含めたアジア向けのプロジェクト部門で採用枠があるとのことでした。オーストラリアに行ったこともなく、今の仕事とは別分野の水産関連ということもありとても迷いましたが、そんな時、どこかのインフルエンサーが言っていた『人生一度きり。決断が全てを左右する』というフレーズを思い出し、その企業にエントリーすることを決めました」
その後、度重なるオンライン面接などを行い、めでたく採用が決まります。現在の会社への退職手続きを無事済ませた上で、希望に胸を膨らませて単身オーストラリアの地に渡りました。
ただ、そうは言ってもそこは海の向こう。言葉や生活環境の違いがあるのも事実で、うまく適応できるかが鍵となります。今回は、日本の会社に見切りをつけてオーストラリアに渡った男性の残念なエピソードです。
想像と違った商社マンの業務
目に留まった海外企業のリクルート情報
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愛犬ベルクちゃんと暮らすアラサー派遣社員兼業ライターです。趣味は絵を描くことと、愛犬と行く温泉旅行。将来の夢はペットホテル経営
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