借金200万円を抱えてパチプロになった48歳。ライバルがいない“パチンコ過疎地域”で打ち続けた結果…
朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。
筆者はこれまでに何人ものパチプロに出会ってきた。彼らに共通しているのは、一般の客が注目しないようなことにしっかりとフォーカスし、少しでもオイシイポイントがあれば、キッチリとその“旨味”を搾り取るということ。まさに「生き馬の目を抜くがごとし」といったところか。
その昔、あるパチプロは「7枚交換、データカウンターなし」という店でひたすらに勝ちを重ねていた。交換率もデータを読めないこともプロにとっては不利でしかない。だが、「なんでそんな店で打ち続けて勝てるんですか?」と筆者が聞くと、彼は「競合するプロが絶対にいないから。データなんて、ずっと店にいて自分でつければいい」と、サラリと言い放った。
今回、話を伺ったのは元パチプロの岡本昌さん(仮名・48歳)。彼は200万円の借金を抱えた状態でパチプロになったという。果たして、どのような経緯でパチプロになることにしたのだろうか。
「私が大学卒業したのは2000年で、いわゆる氷河期世代ってヤツですね。出版社か新聞社志望で就職活動をしたんですが全滅で……。全国紙の新聞では最終面接で落ちて、さてどうしようかと思っていたところ、知人の紹介でとある攻略誌の編集部にもぐりこむことができたんです。パチンコもパチスロもけっこう好きだったし、当時のパチンコ・パチスロ雑誌ってどこかサブカルなノリがあったので、入れることが決まったときは“ラッキー!”くらいな感じでした。でも入ってみたら、職場は超絶ブラックな環境。残業しようが徹夜して泊まり込みで仕事しようが、決まった日当の金額しかもらえなかったんです……」
そんなブラック企業であっても、新台や解析情報は一般の人よりも早く触れることができたり、仕事でパチンコ・パチスロを打つこともできたりと、岡本さんにとっては願ったりな仕事であったという。
「キツかったですけど、楽しかったですね。仕事でパチスロ打って、仕事終わったらプライベートでパチンコ打って、そのまま会社に戻ってまた仕事。今じゃ考えられないくらいブラックな環境でしたが、パチンコ・パチスロ雑誌であっても、一応はメディアなわけですから、編集やライティングといった仕事に携われていたこともあって、やりがいを感じていました」
ブラックな環境ながらも充実した時間を過ごしていた岡本さんだったが、3年ほどでパチンコ・パチスロ雑誌を去ることになる。
「パチンコ・パチスロを打つことよりも雑誌を作る、原稿を書くってことのほうが楽しくなってきちゃったんです。それで情報誌などいわゆる一般メディアで仕事したいなぁって思うようになりました。でも、その頃の出版業界はどこもかしこも採用をほとんど行っておらず……。もうさすがに仕事もキツいし、パチンコ・パチスロ雑誌を作ることに飽き始めていたし……みたいな感じで、『思い切ってフリーになっちゃえ!』と思って。今考えると在籍していた出版社以外にたいしてコネもないのに、よく辞めたよなぁって思いますね(笑)」
生き馬の目を抜くことが求められるパチプロ
就活で全滅となり潜り込んだ先は…
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
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