タイに移住、食堂を営む日本人のリアル。スタッフの“横領”が発覚して人間不信に陥っても「タイが好きだから」
物価高や停滞する給与水準を背景に、海外に活路を求める日本人は少なくはない。海外に移住し、実際そこで働く人たちのリアルとは……?
UDさんは群馬県出身。高校卒業後、18歳で地元・伊勢崎市のホストクラブで働き始めた。持ち前の明るさで人気を集め、入店後わずか3カ月でナンバーワンに上り詰めた。さらに半年後には店長へと昇進。
「20歳になった頃、もっと広い世界を見たくなり、上京して歌舞伎町のホストクラブへと挑戦しました。しかし、群馬で通用していたスタイルが歌舞伎町では受け入れられず、苦戦しました。また、当時の職場は芸能事務所と提携していて、在籍ホストの半分以上が芸能事務所に所属していました。そこで枕営業を強要されるなど、芸能界の暗部に触れることもあり、失望して地元に戻ることになったのです」
その後、地元の先輩に誘われ、アクセサリーを取り扱うオンラインショップや物販の仕事に就いた。
「物販の仕事は正社員の契約のはずでした。しかし、実際は正社員ではなく、福利厚生も一切ないブラックな環境だと後から知ったんです。手取りは良かったものの、パワハラや理不尽な扱いを受けることもありました」
厳しい日々の中、転機が訪れたのは2018年。出張で訪れたタイ。バンコクからパタヤにも足を延ばし、ソンクラーン(水かけ祭り)を過ごしたことが、タイへの興味を大きく膨らませるきっかけになったという。
「祭りの活気はもちろんですが、タイ人のフレンドリーな性格に惹かれました。1回会っただけなのに、その後も気軽に声をかけてくれるなどの温かさが印象的でしたね」
それからは毎年タイを訪れるようになり、パタヤへの思いが強くなっていったとUDさんは振り返る。
何度かパタヤを訪れるなかでパタヤ関連の情報が少ないことに気づき、旅行の思い出を残す意味でもYouTubeを始めることに。2019年9月に『ゆうでぃーたいらんど UD Thailandチャンネル』を開設し、食べ歩きや食レポ、ホテルレビューなどを投稿するようになった。
「動画を撮影しているうちに、パタヤでの暮らしや食べ物に興味を持つ人が増えたと感じたんです。開設から3カ月で収益化に成功したとき、『これを本格的にやってみよう』と考え、日本の会社を退職することを決意しました」
2020年1月、UDさんは再びタイを訪れた。しかし、その直後にコロナ禍が本格化し、やむを得ず日本に帰国することに。日本での生活を経て、ついにパタヤへの移住を果たしたのは2021年の2月。同年8月にパタヤ・ソイ6でバービア(格安のビールバー)をオープンさせたが……。
「バービアでは女の子たちの管理が業務の大半を占めていました。ちょうどその頃、YouTubeのチャンネル登録者が増え、『パタヤに行ったらどこで会えますか?』と聞かれることが多くなっていたことから、もっと日本人のお客さんと関わりを持ちたいと思ったんです。
それで『これは自分がやりたかったことではない』と感じるようになり、日本人がもっと気軽に来れるレストランを始めたいと考えるようになったのです」
そんなタイミングで経営のバックアップなどの代行会社と方向性の違いもあり、バービアはわずか10カ月で閉店。貯蓄をほぼ失ってしまったと語るUDさんだが、現地に住む周囲の人間の協力を得て、2023年7月にオープンさせたのが現在の「UD Restaurant うまロイ食堂」だ。
うまロイ食堂の特徴は、タイ料理をベースに、日本の味を融合させた独自のメニュー。オリジナルのコームヤーン(豚の喉肉)丼やイカ料理などのメニューを、150〜200バーツ(800円前後)と手ごろな価格で提供している。また、カウンター越しにUDさんと情報交換できることから現地在住の日本人や旅行者たちが連日訪れる人気店となっている。
タイのリゾート地・パタヤで食堂を経営し、YouTuberとしても活動するUDさん(38歳)。じつは彼、元ホストという経歴の持ち主でもあるが、タイに移住した理由や現在の仕事のことなど、詳しい話を聞いた。
地元・群馬のホストクラブから上京するも…
パタヤで“日本人旅行者と積極的に関わりたい”という思いから食堂をオープン
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東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano
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