メディアが起こした“アキバブーム”が秋葉原を変えた―明治大学准教授・森川嘉一郎氏
―[脱マニア化する秋葉原の今]―
電気街、パソコンの街、オタクの街としての“マニアック”なイメージを生んだ秋葉原。しかし、家電店やPCショップの老舗が消え、同時にマニアでない人々の流入で変化が起きている。そんな秋葉原の“今”を追った
◆変わり続けること。それこそがアキバの魅力
脱マニア化の流れが始まっている秋葉原だが、実はこれ以前に“普通の街”へ変貌する可能性のある出来事があった。
「ITセンターに象徴される駅前の再開発が発表された当初、秋葉原が今までの雑多な魅力を失い、“普通の街”になってしまうのではないかと危惧する声が、オタクの間で上がりました」と語るのは、秋葉原の変遷に詳しい明治大学准教授・森川嘉一郎氏だ。
しかし、事態はナナメ上の方向へ進んだ。
「秋葉原の景観自体は確かに変わりましたが、それよりもメディアが引き起こしたアキバブームのほうが、街のイメージから客層にいたるまで、はるかに大きく秋葉原を変えてしまったんです」
結果、秋葉原はマスメディアが描く虚実入り混じったアキバ像やオタク像をなぞるような店や客が増えることとなった。
「その最たるものが、メイド喫茶です。メディアが取り上げるまでは2、3店しかなかったし、それまで秋葉原に通っていたオタクの多くにとっては、買い物帰りに話のネタとして寄るような店でしかなかった。ところがテレビで最近の秋葉原に興味を持ってきた人たちが、ワイドショーを真に受けて、ベタに癒されるために通い始めた。そうした新しい客の急増で、最盛期には60店舗以上もメイド喫茶が出現したんです。リア充でもオタクでもない人たちが、メイド喫茶に行くことで、手軽にオタクというアイデンティティを手に入れることができると思ったんですね」
結果、さらにオタク趣味の敷居が低くなり、秋葉原は趣味の街としての性格を増しながらも、新たにライトな層が増えた形だ。
「以前からいたオタクたちは、オタクになるために秋葉原に来ていたのではなく、同人誌なりゲームなりを買うために来ていたわけです。ところが、アキバブーム以降に来るようになった人たちは、“オタクをやる”ために秋葉原に来ているふしがある。いわば昔、竹の子族を“やりに”原宿に行っていた人たちのようなものです。秋葉原の街としての性格が原宿に近いものを内包するようになり、ホコ天で踊る人たちまで出現した」
ニコ動が原宿にできたことに表れているように、10代のニコ動世代の間では、もはやアキバ的なものと原宿的なものの区別は曖昧だ。そんな変化が、秋葉原の街に反映されつつあるということか。
「変化がなくなったときこそ、秋葉原は魅力を失うのだと思います。短期間に、家電を買いに来る家族連れの街からオタクの街に変わり、そして今はライトオタクや一般人の観光地になっている。中央通りの土地所有が細切れで、大きなデベロッパーが介入しづらかったことが、結果として秋葉原を臨機応変に変わる街にしたのでしょう」
【森川嘉一郎氏】
’71年生まれ。現在、明治大学国際日本学部准教授を務める。秋葉原をテーマに語ることが多く、著書に『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎刊)など多数
取材・文・撮影/アキバの今を知り隊 写真提供/3331 Arts Chiyoda(一部)
― 脱マニア化する秋葉原の今【8】 ―
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