宮台真司「危険な原発を可能にしてしまったこの社会も変わる」
― 有名人が告白 震災で変わった「私の生き方」 【1】 ―
阪神大震災、オウム事件、9・11――。これらの出来事と今回の東日本大震災の一番の違いは“当事者感覚”の有無だろう。東京から明かりが消え、余震が続いたなか、人々は原発の情報収集に奔走したからだ。そんな状況を経て、各界著名人の価値観はどう変わったのか?
◆何よりも大切なことは“人と人との絆”だとやっぱり僕は思う!
宮台真司
みやだい・しんじ(社会学者)
震災直後、僕はラジオ番組(TBS・赤坂)の生放送に向かう車中でした。すぐに家族に連絡し、子供2人の無事も確認。緊急避難場所を決めていたのもあり、取り乱しませんでした。震災以後は今日に至るまで冷静に対処し続けていると思います。いわき市に住む実弟と連絡がついたのは5日後で、そこは動揺しましたが……。
直後に考えたのは原発の問題です。ただし当初から原発の背後にある利害は明白で、政府や東電が「安全デマ」を流すことがわかっていたから、はなから信用はしませんでした。このスタンスは今も変わりません。十分なリアルタイムの放射線モニタリングがなされていないという判断から、東京から離れた山荘に、知人の子供たちや自分の子供たちを疎開させました(註:宮台氏が住む地区では3月の終業式直前、子供の約半数が疎開していたそう)。
このときに改めて考えたのは日頃からの人間関係の大切さ。親族や友人たちと”絆をどれだけつくれているか?”です。僕は友人たちとリソースを融通し合い、「今度はウチの知り合いの寺に来たら?」などとコミュニケーションをしましたが、こういうリソースを持たない人たちのことを考えるにつけ、複雑な気持ちになります。
ひとつ言えるのは、自分が持つソーシャルキャピタル(人間関係資本)をいま一度確認し、優先順位を高くつけ直すチャンスだということ。私たちは今まで、肝心なことを市場任せや行政任せにし、人にせよモノにせよ時間にせよガラクタに人生を費やしすぎました。これからは、市場や行政を頼れなくなった場合を想定し、市場任せや行政任せをやめ、自分たちの地域を自分たちで支える共同体自治に向かうべきです。地域社会を自立した経営事業体にしていく必要がある。そのためには、食とエネルギーが2つの柱となります。共同体自治があるところからスローフードと自然エネルギーが入り、スローフードと自然エネルギーを入れようと努力する地域から、共同体が復興するのです。
つまり、ただ復興するのではマズいのです。今回の震災で、家族や親族と密に連絡をとったり、いろいろな人から安否を気遣われたりして、自分が持つソーシャルキャピタルに自覚的になれた人も少なくないはず。これからの長きにわたる復興を通して、単に元の生活に戻るのではなく、自分にとって社会にとって、何が大切なのか。優先順位のつけ直しが個人でも社会でもされるべきです。そういう発想を多くの人たちが共有できれば「危険な原発を可能にしてしまったこの社会」も変わります。
『原発社会からの離脱』 これからのエネルギーとこれからの政治を語ろう |
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