鉄道写真家が見た被災地鉄道の今【後編】
―[道路交通ジャーナリスト清水草一]―
東日本大震災による津波の被害でズタズタなった路線もあれば、まったく被害がなかった路線もある被災地の鉄道。線路跡をアスファルトで舗装しバス専用道路に転用する試みも始まっているが、専用道路の整備に加えて新たな駅舎や線路の設置など、まだまだ道のりは遠い。そんな被災地の鉄道の現状を、鉄道写真家が静かに語った――
MJブロンディ=文 Text by Shimizu Souichi
佐々倉実=写真 Photographs by Sasakura Minoru
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MJ:佐々倉さんの写真を見て衝撃だったのは、僕も行ったことのある石巻線の女川駅が、跡形もなくなってるようですが
佐々倉:全部津波で流されて、今は町ごとすべて撤去されて、駅も線路もどこにあったかわからなくなっているんです。鉄道趣味のひとつに、廃線めぐりってあるじゃないですか
MJ:僕も好きです
佐々倉:三陸の場合は廃線と言ってしまってはいけないのですが、線路の状態が尋常ではないです。こんなに楽しくない廃線めぐりはなかったです
MJ:それは?
佐々倉:痕跡を探すどころか、地形ごとなくなっていたりするんですよ
MJ:……そういう路線は、開通の古い区間が多いわけですよね
佐々倉:北からJRの山田線、大船渡線、気仙沼線、石巻線が厳しいです
MJ:それらの路線は、被災前、鉄道写真家としてはどういう存在だったんですか
佐々倉:三陸は地形が厳しいじゃないですか。つまり美しいわけです。当然、撮影対象として魅力がある。学生時代から通ってました。ちょうどローカル線ブームで、その頃はまだ駅員さんもいて、いろいろ親切にしてもらいました。以来ずっと、絵になるローカル線として、仕事抜きで旅する場所としても、食を含めて楽しい場所でした
MJ:ただ、開通が古いだけに、海のすぐ近くを走ってますよね
佐々倉:だから絵になったわけなんですが、それが仇になりました
MJ:なんとも言えませんね……
佐々倉:それらの路線の多くが、まったく復旧のメドが立ちません
MJ:気仙沼線はごく一部、2㎞だけBRTの運行が始まりましたけど、恐らく鉄道の復活は厳しいでしょうね。もともと高校生と老人以外、あまり乗ってなかったわけだから
佐々倉:ただ、八戸線は全線復旧して、三陸鉄道の北リアス線も10㎞少しを残して開通しました
MJ:第3セクターの三陸鉄道は新しい路線だから、大部分がトンネルで、災害に強かったわけですね
佐々倉:鉄道の法面(のりめん)が防潮堤の役割を果たした区間もあったんです。鉄道に携わる者として、この北リアス線の復旧を、ぜひPRしたいと思ってます。みなさん、北リアス線に乗って、うまい魚を食べて、三陸の復旧状況をぜひご自分の目で確かめてください
― 鉄道写真家が見た被災地の鉄道の今【2】 ―1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中
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