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「夢を持てるかどうか」こそが重要なこと【鴻上尚史】

夢,鴻上尚史 藤子不二雄A氏の傑作『まんが道』が連載当時のカラーページが再現されて復刊され、第二巻の解説を書きました。 『まんが道』は知る人ぞ知る傑作、藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄の自伝的作品で、高校生の二人がお互いに刺激しあい、神様手塚治虫さんとの出会いからマンガ家を目指して闘い、成長していく物語です。  何年ぶりかに、解説を書くために再読して、この作品はマンガ家になりたいという「夢を実現した話」というより、マンガ家になりたいという「夢を持てた話」なんだと痛感しました。  よく物語だと、「夢を実現できたかどうか」が問われます。それがクライマックスになったりします。けれど、実際の人生では、「夢を実現できたかどうか」より、「夢を持てたかどうか」の方が重大な問題なんじゃないかと思うのです。  うらやむべきは、「夢を実現した」ことではなく、「夢を持てたこと」なんじゃないかと思えるのです。  もちろん、「夢を実現できた」人は素敵です。でも、それはかなりの少数派だと思います。 「夢が実現した」原因は、本人の努力だけではないのです。逆に言えば「夢が実現できなかった」原因は、本人以外の要因がたくさんあります。金銭的な問題も運も偶然もあります。  本人がどんなにがんばっても、夢が実現できないことは普通にあります。「がんばれば夢はかなう」が嘘だということは、大人はみんな知っています。夢がかなわなかった人が全員、がんばらなかったはずはないのです。 ◆自分が何をしたいかの答えを持てるという幸福  松井秀喜選手の引退の言葉「命懸けでプレーし、力を発揮する気持ちでいたけれど、やはり結果が出ない」は感動的でした。命懸けでプレーすることは当たり前、けれど結果はでない。  とかく日本人は精神論に傾きがちで、命をかければなんとかなる、夢はかなうと思ってしまうのですが、結果がでない時はでないのです。  ですから、「夢を実現できたかどうか」は、じつは、少数派の人達が向き合う人生の課題なのです。多くの人が出会うのは、人生を賭ける「夢を持てたかどうか」なのです。  けれど、実際の人生でも物語でも、いつも「夢を実現したかどうか」だけが注目されて、「夢を持てたかどうか」はスルーされているような気がします。  自分が本当に何をしたいのか、人生を通しての自分の夢はなにか?と問いかけ、答えが見つかった人は本当に幸福だと思うのです。人生を賭けるような「夢を持てた」ら、それだけでもう、人生丸儲け、充分自分をほめていいんじゃないかと思うのです。結果はどうあれ。  僕は、無理して、「結果はどうあれ」と言っているのではありません。僕は本気で結果はどうでもいいから、「夢を持つこと」が重要なんだと思っています。  だって、人生を賭けていいような夢を持てる人は本当に少ないのです。その少ない人の中で、その夢を実現した人はもっと少ないのですが、そもそも、「夢を持つこと」の重要性というか素晴らしさは強調しても強調したりないと思っているのです。  もちろん、人生を賭けるような夢を持つ必要はない、と思う人もいるでしょう。でも、もし、あなたが、自分が本当は何がしたいのか、自分の人生の夢はなんだと考え、そういうものが欲しいと思ったら――そして、自分に問いかけてもまったく浮かばないのなら――。  これとこれ、どっちがしたいのか?どっちがベターかを比べ続けていく思考方法で、最終的な夢にたどり着くという方法があります。  そうしようとしても、まったくやりたいベターが見つからない場合は、「自分は何がしたいのか?」ではなく「自分は何がしたくないのか?」というベターではなく、よりワーストを避ける方法で「自分の夢」に向かってアプローチしていくという方法があります。  これとこれ、どっちがやりたくないのか?じゃあ、次のこれとこれはどっちが嫌なのか?とマイナスを比べながら進んでいくのです。  どっちが自分は不快なのか、気持ち悪いのかと、生理的な基本を確認するのです。そうやって、最終的に人生を賭ける夢を持つのだって、ありなのです。<文/鴻上尚史> ― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

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不謹慎を笑え (ドンキホーテのピアス15)

週刊SPA!の最長寿連載エッセイ

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