更新日:2015年09月29日 16:36
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香山リカ 安保法案抗議デモに燃えた夏を振り返る

香山リカ

香山リカ

 あれは6月半ばの金曜日のことだったと思う。  そのちょっと前、6月4日には、衆院憲法審査会で憲法学者の長谷部恭男氏(早稲田大学法学学術院教授)、小林節氏(慶應義塾大学名誉教授)、笹田栄司氏(早稲田大学政治経済学術院教授)という憲法学の権威3人が口をそろえて「安全保障関連法案は違憲」と述べ、“世の中の潮目が変わった”と言われ始めていた頃だった。  今はすっかり有名になった学生を中心とした組織SEALDsが国会前デモを始めるようになったのは、世間(とおそらく政権)に衝撃を与えた憲法審査会の開催とちょうど同じ時期だったはずだ。  その金曜日、私は精神医学関連の学会の会議に出ていた。  6月下旬に開催される総会の副大会長を引き受け、毎週のように診療や授業の後、事務局メンバーの精神科医たちと集まっては、総会当日に向けてあれこれ準備をしていたのだ。その日もたしか19時頃に集合して「お弁当の注文は」「マイクは何本必要か」といった相談をあれこれしているうちに、あっという間に21時近くになった。しびれを切らして私は言った。 「あの、そろそろ失礼したいのですが」 「えー、まだ決めなきゃいけないこと、いろいろあるでしょ。だいたいこんな遅くからカヤマさん、いったいどこ行くの?」 「国会前。学生たちが安保の抗議行動やってるみたいなんで。今から行けば間に合うかもしれないので」 「あー、そういうのか。カヤマさん、ちょっと気をつけたほうがいいんじゃないの」  実はそこに集まっているのは精神科医の中でも「リベラル」と思われる人たちで、私にとっては比較的、心許せる“仲間”のはずだった。その昔、学生運動にかかわっていた団塊世代の教授なども含まれていた。  ――それが「気をつけなよ」って、いったいなんなんだ。  私はイラついて、そういった場ではめずらしいことなのだが、「別にいいじゃないですか。いまさら何に気をつけろって言うんですか」とちょっと強い口調で言い返した。  すると私を「気をつけて」とたしなめた医師はびっくりしたのかドン引きしたのか、「い、いや。基本的にはみんな応援してるんだよ。がんばって!」と私の背中を叩いた。  そこで私としてはさらに、「応援してるならいっしょに行きますか? 無言でエール送ってもらってもうれしくもなんともないですよ」と言いたかったが、それはやめて、「はい、どうも」とだけ答えて、さっさと資料をバッグに詰め込んでその場を離れた。「もうこの人たちは“仲間”なんかじゃないんだ」と思いながら……。  すみません。突然、“中二病”的な文章から始めてしまったが、これは本当の話だ。そして、それ以降、7月、8月、9月とやってきたこと(一部はいまもやっていること)も、そのまま文字にすると読んだ人は「……中二だな」と感じるのではないだろうか。55歳にもなって中二を生きた(笑)。これが2015年の夏だった、と言ってもよい。
国会前でスピーチをする民主党・枝野幸男幹事長

2015年7月15日、衆議院委員会で安保法案が可決した夜に国会前でスピーチをする民主党・枝野幸男幹事長(編集部撮影)

 あらかじめ断っておくと、私はSEALDsのメンバーと何かかかわりがあるわけではなく、彼らとともに大活躍した「安全保障関連法案に反対する学者の会(以下・学者の会)http://anti-security-related-bill.jp/のコアメンバーでもない。  この間、安保法案に関してメディアから私への取材もあまりなく、ある意味で活動の“傍観者”の立場だったと言ってもよい。ただ、「戦争をさせない1000人委員会」というのには呼びかけ人として名前を連ねていて、そこからは何度か頼まれてスピーチをしたが、それも毎回ではなかった。だから、ほとんどの行動は有志の個人として、また一部はいま所属している立教大学の「安全保障関連法案に反対する立教人の会(以下・立教人の会)http://rikkyo9.wix.com/homeの一メンバーとして自主的にしたまでだ。つまり、誰からも頼まれてもいないのに匿名の個人として国会前に出かけて行った、ということだ。  国会前で金曜日を中心に行われたデモだけではない。「学者の会」の記者会見、学生と学者の共同行動、学者と日弁連の共同行動、SEALDsが主催した「サロン」という講義形式の集会などにもあるときは個人として、あるときは「立教人の会」の有志として本当によく出かけた。「ずいぶんヒマなんだな」と言われればそれは間違いではないし、「学生が行くので引率をかねて(立教大学には『SPAR(平和のために行動する立教大生の会)https://www.facebook.com/spar.rikkyo』という学生団体があり、この学生たちがとても熱心に学習会を開いたりデモに出かけたりしていた)」という説明もできるのだが、それだけではない。  私は幸いにもこうしていまだにかろうじて、マスメディアと呼ばれる場で自分の意見を発信する機会を与えられているが、いつも「これが本当に誰かに届くのか」という疑問も感じていた。批判は山のように寄せられるが、「文章を読んで考えが変わりました」「深く納得しました」といった意見はほとんど来ない。たまに直接、顔を合わせた人から先の精神科医のように「いつも読んで応援してます」などと言われることもあるが、その人は前から私に近い意見だっただけで、とくに私の発言で考えを改めたのではない。また、その人が次は自分で声を上げる、ということもなく、これまた先の精神科医のように自分は安全地帯から「がんばれよ」と後ろから背中を押すだけなのである。  きっと私はそういう自分、そういう状況にほとほと嫌気がさしていたのだろう。国会前や「学者の会」に行くたびに、そこには無数の人がいて、大きな声で「憲法守れ」「安倍を倒せ」などとはっきり口にしている。その声がさらに多くの人を巻き込み、デモが行われるたびに訪れる人が増えて行く。  SEALDsのコールに「民主主義ってなんだ?」「これだ!」というかけ合いスタイルのものがあるが、私にとってはまさに「私が言論を通してやりたかったことってなんだ?」「これだ!」(あまりに字余りだが)ということだったのだろう。
国会前でスピーチする香山リカ氏

2015年7月15日、衆議院の特別委員会で安保法案が採決された夜に国会前でスピーチする香山リカ氏(編集部撮影)

「学者の会」とSEALDsがメジャーリーグなら、「立教人の会」と学生は3Aといったところだが、そこでも和気あいあいとした交流が行われた。祖父母と孫といった風情の教員と学生がLINEのIDを交換したり「ビラはどうするんだ?」「え? ああ、フライヤー」「のぼりを作ろう」「プラカっすか」などと会話したりする様子は、それが戦争法案阻止という目的の行動であることを一瞬、忘れるほどほのぼのしていた。私も日ごろは、「自分は立教の教員というよりやっぱり精神科医かな」などと言っていたことも忘れ、ことさらに「自由の学府・立教大の一員として」とか「キリスト教大学として平和を」と主張し始め、「このにわか帰属意識はちょっとヤバイんじゃないか」と自戒するほどであった。  ただ、途中からいくつか心配ごとも出てきた。  ひとつは、大学教員や学生は何といっても表現の自由、学問の自由さらには教員は身分を保障された“特権階級”である。「学者の会」ではよく、「今回の憲法を否定する安倍政権の手法は知性、理性を真っ向から否定するものであり」といった意見が語られたが、それを聞いていると私でさえ、「反知性、反理性だからダメなのか? 世の中、知性や理性だけで動いているのではないだろう」とその“特権”がなんとなくハナについてくるのを感じた。「日ごろ象牙の塔(これまた古い表現だが)に閉じこもっていた学者が立ち上がった!」ということで世間にインパクトを与えることができたかもしれないが、それを言いすぎると「そもそもこれまで象牙の塔にいられたのがおかしい」とその知性主義、理性主義がバッシングの対象になるかもしれない。
2015年9月14日の国会前

2015年9月14日の国会前。8月30日に続き、国会前の道路は抗議する人々で埋め尽くされた(編集部撮影)

 それからもうひとつ。法案が衆院で可決され、舞台が参院に移っていよいよ9月の半ばに差しかかったあたりで、「この運動はこれからどうなるのだろう?」と先々が気になってきた。当時は「あのー、可決後は」と口にするだけで「まだどうなるかわからないのに今からそんな弱気の敗北主義でどうする!」と叱り飛ばされかねない勢いだったが、そのことじたいが現実離れして見えた。もちろん、フロントラインで「まだまだ止めますよ~!」とSEALDsの元気な若者といっしょに声を上げる人も必要だろうが、一方で「運動の閉じ方」を検討するチームも必要なのではないか、とついそんなことが気になったのだ。  大学の夏休みは長く、今回はまさに“神のシナリオ”のごとく9月19日未明の参院可決の直後から後期がスタートという学校が多かったようだが(立教大学はまさに19日からが後期)、ギリギリまで国会前の非日常に身を置いていた教員、学生がはたして後期のキャンパスにすんなり適応できるのかも心配だった。  全国で何らかの形で安保法案への反対声明を出した大学は9月20日現在で148にも上ったが、それは全学をあげての取り組みではなく、熱心に活動している教員、学生は全数の100分の1かそれ以下だろう。たとえば私ですら、9月18日金曜深夜「野党はがんばれ!」の大コールの中、涙ぐみながらも堂々と国会内の報告をしている長年の友人・辻元清美氏――そう、辻元さんは私の個人的な友人だ。こういうことをはっきり言えるようになったのも“デモ効果”かもしれない――の姿についウルッとしながら、ふと「シルバーウィークも授業だからな……月曜にはバイトやサークルで夏休みをすごした学生たちの前で“うつ病と睡眠”の話をしてるわけか」と現実と目の前のギャップが恐ろしくなったほどだった。  結局、そんな敗北主義者は私以外いなかったようで、19日未明に法案が参院で可決して成立した後も、誰もが「今後もがんばる!」と力強く誓い合い、法案反対デモはとりあえず終わった。その後、「学者の会」の抗議集会で上智大学の中野晃一教授は、「法案の可決を受けても、国会前では一瞬も挫折の雰囲気が漂うことはなく、かえってみんなの力が増した」と大勢の記者たちの前で言い切った。それが事実なのだろう。
2015年9月18日、23時56分の国会前

2015年9月18日、23時56分の国会前。この時間、香山氏は急病人を救護班とともにケアしていた。この2時間ほどのちに安保法案は参議院本会議で可決された(編集部撮影)

 とはいえ、「何をがんばるのか」という問題は残っている。「学者の会」は「安全保障関連法案に反対する学者の会」の「案」だけを取って継続、ということになり、「立教人の会」もそれにならうことになった。私としては、「いったん潔く花と散る」が望ましいのではないかと考え、すでに頭の中でハデな解散式や解散パーティのプログラムなどを妄想していたのだが、「立教人」のミーティングでそんなことを口に出すのもはばかられる雰囲気で、29日には早くも次の動きとして、この間の活動報告の集会が予定されている。もちろん、やると決まったからには私もまた、プログラムの印刷でも椅子並べでもなんでもできるだけのことは協力するつもりだ。  たしかに学者の会は「学者1万4千人以上、一般市民3万1千人以上」の署名、「立教人」でも千二百人を超える賛同署名が集まっているのに、法案が可決されたからといって「ハイ終わり」とはならない、というのも当然かもしれない。しかし、ちょうど夏休みの時期と重なったことや短期決戦だったからこそみんなで奇跡的に役割を分担して動けたこと、国会前の“先住民”である首都圏反原発連合(反原連)見守り弁護団医師や看護師による救護チーム給水や炊き出しなどで協力してくれた人たちなどがいたことなど、いくつかの奇跡的な偶然も重なってここまでのうねりができ上がった、という点は否めない。これが今後、継続となったとき、誰が何をどういう形でどれくらい行っていくのか、運動のシンボルであるSEALDsは誰がどうやって守っていくのか、などと考えるとやっぱり「ホントにこのまま継続で大丈夫なのかな」という文字通り“ザ・老婆心”がわき起こってくるのだった。  これからいろいろな人がこの夏の動きを、それぞれの立場から振り返り、分析していくことだろう。  それはとても大切なことだ。しかし、ひとつだけはっきり言えるのは、この国会前を中心にした動きに関して包括的に論じることは不可能で、その分析者がどの立ち位置にいて、どのくらい運動に巻き込まれていたかにより見え方がそれぞれ違うことを忘れてはならない、ということだ。  精神科医のサリヴァンは、精神科の診察は「関与しながらの観察」でしかありえない、と言った。手もとの用語事典から引用しよう。 「(『関与しながらの観察』とは)『相互に影響を及ぼし合う過程での観察』を意味する。つまり、精神科医が患者を診察する場合、天文学者が星を観察するのとは異なり、人間的かかわり合いの介在を無視した観察は成立しえないことを強調した。」(『精神科ポケット事典』、弘文堂)  つまり、「私は安保法案に関してはこういう意見だ。そしてこの夏、デモには何度通った」と私的な立場や経験を表明することなくしては、この問題は語れないのではないか、ということだ(たくさん通った人にのみ語る権利がある、という意味ではない)。  あえて露悪的、極私的なことを言えば、冒頭にも述べたように、私は精神科医の世界では「社会的意見を言いすぎる人」として浮いており、マスコミでは「なんとなくハンパなリベラル」としてややイロモノ的な扱いをされており、ネットでもリアルでも1万対1くらいの割合で共感や肯定より批判、攻撃、クレームのほうが多いし、きっと長年、孤独を感じていたのだと思う。そこで匿名の一オバサンとして駆けつけ、無数の人たちの中に埋没しながらコールなどすることで、ちょっとその孤独が癒されるような気がしたのだろう。  もちろん、安全保障関連法案には明確に反対の立場ではあるが、「デモや『学者の会』に実際に足を運んだ」のはとても個人的な事情からだったのではないか、と振り返っている。まさに“中二の夏休み”だったのだ(“SEKAI NO OWARI な夏”とも言える)。  さて、今後どうするかが問題だ。もちろん「立教人の会」が継続するなら力は出し惜しみしないが、国会前の毎週、毎日のあのデモはもうない。私が身を寄せられる無数の群衆ももういない。  9月22日、首都圏反原連主催の集会があり、数日ぶりに国会前に出かけた。  反原連は国会議事堂を正面に見て左、「南庭側」と呼ばれるエリアを根城にしているのだが、驚いたのはSEALDsなどがデモをしていた「北庭側」にも、「違憲」といったプラカードを持った人たち、主にミドルからシニアの人たちがおそらく100人以上、所在なげに立っていたりフラフラ移動したりしていたことだ。この人たちは、「ここに行けば何かある」と期待して集まってきたのだろうか。それとも「とにかく地下鉄に乗って国会議事堂前で下車」というのが、すっかり身体に染みついてしまったのだろうか。  もちろん、組織的な集会やデモは行われておらず、「なんだか気の毒だな」と同情しながらも、私はふと考えた。  ――自分はこの人たちとまったく違う、しっかり日常に着地できている、と言い切れるだろうか。一瞬、「私はもう孤独なんかじゃない」と思った“中二な夏”をどう忘れ、どう孤独な闘いに戻るか。これが私の個人的な秋のテーマである。  ということで、半年ほど休んでいたツイッターを再開しました。  またよろしく、お手柔らかにお願いします(@rkayama)。 文/香山リカ
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