番外編その3:「負け逃げ」の研究(1)

 第5章の構想がまだまとまっていないので、雑談をつづけよう。

 前述したように、わたしは「プレミアム・フロア」での打ち手である。

 したがって、桜田さんのエピソードはたまたまわたしが出くわした例外的なものであって、個室で打つ「ハイローラー」たちと勝負卓であいまみえることは、ほとんどない。

 通常「ハイローラー」はいないはずのマカオの大手ハウスのプレミアム・フロアでも、いろいろと日本から来た面白い人たちと出会う。

 山口組分裂以降、めっきりと「そのスジの人」を大手ハウスのプレミアム・フロアで見掛ける機会が減ってしまったが、それ以前、「そのスジの人」たちで溢れていた一時期もあった。

 ただし、「そのスジの人」たちがもっとも多く集まるのは、いまも昔もお隣の国のハウスだ。

 わき道にそれるが、ちょっと説明する。

 そもそも、お隣の国で「カジノ」が公認されたのは、日本では違法な「賭場(どば)」の常連客たちに、公明正大に博奕(ばくち)を打ってもらおう、とする構想から始まったのだそうだ。

 お隣の国では、現在に至るまで江道州にある「カンウォンランド」(2000年に開業)を唯一の例外として、「内国人」は入場禁止となっている。

 現在では中国からの客たちに圧倒されているのだが、つまり、韓国カジノ公認時(1960年代末)の主なマーケッティング・ターゲットは、日本だった。

 韓国の現大統領の父親と日本の現首相の祖父(当時すでに総理大臣を辞職していたが、保守党内では隠然とした影響力をもっていた)が、韓国内の賭博利権で手を結び、韓国国会で『観光振興法』(いまで言う『IR法案』)を成立させた。

 この実現のために奔走したのが、東京に本部を置いていた大手暴力団T会の故M会長だった、と言われている。

 ここいらへんの裏事情は、ロバート・ホワイティングの『東京アンダーワールド』(角川文庫)や、その他信頼の置ける書籍でも詳しい。

 なにしろ、ソウルのハウスのオープニング・パーティーでの招待客は、日本の非合法賭場の大口顧客リストそっくりそのままだったそうだ(笑)。

 このパーティーに出席した招待客で、現在でも現役の打ち手を、わたしは一人だけ知っているが、それはそれでまた別のお話。

 お隣の国のカジノ史ではなくて、マカオの大手ハウスのプレミアム・フロアに戻ろう。

 ある年、某広域指定暴力団の定例の寄り合いのあとに、組長はじめ執行部一同および若中(=直系組長)たちが、関西空港からチャーター機を仕立てマカオに降り立ったことがあった。

 ホテルの予約は90数室だったそうだが、実際にホテルまで辿り着けたのは70余名。

「公判中」を理由に関西空港で出国できなかった者、インターポールのリストに載っているとしてマカオ空港で入国を拒否された者などがいたので、そういう数字になってしまった(笑)。

 この70余名御一行様が、マカオ某大手カジノのプレミアム・フロアで、揃ってバカラの札を引いた。

 残念ながら、わたしはその現場を見ていない。

 目撃者の証言によると、

「テーブルに坐ってる頭数と、テーブルに載っている指の数が、ぜんぜん合わなかった」

 そうである。

 壮観だっただろうな(笑)。

 すわ、日本の広域指定暴力団と、香港三合会の全面衝突に発展するのか。

 と恐れられた珍事件は、そこで起こっている。

 いまに至るまで、マカオのみならず世界中のカジノ・ホスト間での語り草だ。

 事件の概要を書こうかと思ったが、おっかなくてやはりわたしにも書けない(笑)。

⇒つづきはこちら
番外編その3:「負け逃げ」の研究(2)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。