番外編その3:「負け逃げ」の研究(35)

 それからしばらくして、シドニーのカジノで見掛けた際、Uさんがベットするチップの種類が以前のものと違っていた。

 1000ドル・チップ(通称・ゴリラ)ではなくて、5000ドル・チップ(通称・バナナ)で張っていく。

 それを数枚重ねてベットした。

 これが、ゲーム賭博の怖いところだ。

 20万円とか30万円とかは、カジノのハコを一歩でも外に出てしまえば、大金のはずだ。

 それが、わずかな期間で、10倍にも跳ね上がっていた。

 慣れたのである。

 慣れてしまえば、当たり前なら怖いことが、怖くなくなる。

 以前にも書いたが、カジノの賭博では、

 ――慣れねばならず、慣れてはならず。

 もっともこれは、カジノの賭博だけにかかわらず、日常生活一般に関しても言えることかもしれない。

 しかし、Uさんのほぼフラット・ベットの悪癖は、まだ変わっていなかった。

 勝率さえ高ければそれでもいいのだろうけれど、はたして収支はどうなっていたのだろう?

 世紀が変わり2004年になると、マカオにラスヴェガス系資本のメガ・カジノがオープンした。

 わたしはマカオでオープンしたばかりのカジノの「一般のプレミアム・フロア」でも、Uさんを見掛けている。

 じつは、Uさんと話をするようになったのは、この時からだった。

 そのオープンしたてのマカオのメガ・カジノの「プレミアム・フロア」は、「一般の」ものであっても、驚くほど敷居が高かった。

 500万HKD(7500万円)が、最低のデポジット金額である。

 勝負卓のワン・ボックスにオレンジ色のチップ(10万HKD=1枚150万円)が束となり、バンバンと賭けられる。

 それでも打ち手たちは、このカジノの「プレミアム・フロア」の会員になろうと、列をなした。

 お断りしておくと、これは、あくまで当時の話である。

 レスヴェガス系のメガ・カジノ、および地元マカオや香港資本のメガ・カジノが林立して競合状態になると、「プレミアム・フロア」に入場できるデポジット金額が、どんどんと低くなっていく。

 現在では、20万~30万HKD(300万円~450万円)あたりからのデポジットで、「プレミアム・フロア」に入ることができるようになっている。

 わたしがマカオでUさんを見掛けた際、シドニーでの時からまたワン・ステップ上がって、オレンジ・チップの打ち手となっていた。

 それをまとめてベットする。

 同席する中国系の打ち手たちは、ほとんどがそういう乱暴なベットをしているのだが、やはり恐ろしいことだった。

     *       *       *       *

「Uさんは、なにをしていたの」

 HKIA(香港国際機場)に向かうフェリーで、わたしはSさんに訊いた。

「わたしも詳しくは知らないのですが、バブル期に不動産で儲けて、バブルが破裂してから、会社整理関係をやっていたらしい、という噂を聞いたことがあります」

 20年以上の付き合いでも、カジノの知り合いなんてそんなものだ。

 本職が何なのか、まったく知らない人たちも多い。

 わたしの個人的な体験では、オーストラリアのカジノのVIPフロアでたまに見掛けるおっさんが、日本に行った時テレビを見ていたら、スクリーンにでかでかと登場した。

 それも国会の某委員会で質疑をおこなっていたのである(笑)。

「Uさんは裏社会の人なの?」

「さあ、どうなんでしょう。日本は全体がグレー・ゾーンみたいなところですから」

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(36)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。