番外編その3:「負け逃げ」の研究(34)

 わたしがUさんに初めて会ったのは、オーストラリアのメルボルンにあるクラウン・カジノのVIPフロア・マホガニー・ルームでだった。

 この世界では「鯨(ハイローラーでも超がつ打ち手のこと)」の中の「鯨」と呼ばれたケリー・パッカーが、ヴィクトリア州からライセンスを得て、オープンしたメガ・カジノである。

 1990年代中期だから、クラウン・カジノがオープンしてから、まだ2~3年しか経っていない頃だ。

 現在でも大口の打ち手は多いのだけれど、当時は「ぶっちぎり」と言っても過言ではないほど、このカジノは世界中から大口の打ち手たちを集めていた。

 マカオにラスヴェガス系のカジノができるまでは、一手5000万円の勝負を受けたのは、わたしが知る限り、クラウン・カジノだけだった。(現在では、事前の交渉なしに、8000万円までの一手勝負を受けてくれるカジノがシンガポールにある)

『マホガニー・ルーム』というのは、クラウン・カジノの「一般のプレミアム・フロア」の名前である。

「一般のプレミアム・フロア」などという呼び方は、奇異に聞こえるかもしれないが、メガ・カジノでは、バンク・ロールの嵩(たか)によって打ち手をいくつかのプライヴェート・フロアに振り分ける。

「下げ銭(カジノに持ち込むカネのこと)」が50万AUD(オーストラリア・ドル。為替交換率を便宜上1AUD=100円と固定する。したがって5000万円相当)からは、26階。100万AUD(1億円)からは31階。300万AUD(3億円)以上は36階。といった具合に。

 ついでだが、当時このカジノの36階には、日本の「鯨」賭人・T氏も、よく通っていた。

「下げ銭」が1万AUD(100万円)から、3階にある『マホガニー・ルーム』には入れた。それゆえ「ハイローラー」のカテゴリーから外れてしまい、「一般のプレミアム・フロア」ないしは「マスVIPフロア」と呼ばれるのである。

 当時の『マホガニー・ルーム』は、ガラスの仕切りでふたつのエリアに分けられていた。

 一方のミニマム・ベット(一手に賭けられる最小の額)は100AUD(1万円)、奥にある方が300AUD(3万円)だったと記憶する。

 これはバカラ卓でのミニマム・ベットであり、BJ(ブラックジャック)卓には、50AUD・ミニマムなんて設定台もあった。バンク・ロールに乏しい打ち手にも「優しい」設定だ。

 どこでもだいたいそうなのだが、メガ・カジノのVIPフロアといっても、「一般」向けのものなら、たいしたことはないのである。怖れることなんかない。

 おまけに、メイン・フロアにある勝負卓より賭金スプレッド(=レンジ)が大きく設定されている場合がほとんどなので、VIPフロアの方が打ち手には相対的に有利となる。

 そういった「一般のプレミアム・フロア」で、Uさんはひとつのテーブルを占拠し、ディーラーとサシでバカラのカードを引いていた。

 なにやらぶつぶつと日本語でつぶやきながら、カードを絞る。

 面識はない人だったが、それでわたしは、彼が坐る席の背後に立ち、勝負を観戦したのである。

 一手2000AUD(20万円)から3000AUD(30万円)くらいのベットだった。

 張りにほとんど濃淡をつけない。

「一般のプレミアム・フロア」では、平均よりすこし高いベット額であろう。

 こういう打ち方は、長期の勝負であれば必ず負けてしまうのだが、この時のUさんの勝率はおそろしいほどよかった、と記憶する。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(35)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。