番外編その3:「負け逃げ」の研究(36)

 カジノのVIPフロアで見掛ける日本からの打ち手は、Sさんが言うように「グレー・ゾーン」で生きている人たちが、結構多いのだろうと思う。

 塀の上を歩いているような稼業なのだが、なぜか内側には落ちない。

 だいたい日本では、警察・検察という組織が、何が合法で何が非合法なのか決めていくのである。裁判所ではなかった。

 ほとんどの場合、裁判所は起訴を追認するだけの機関になり果てている。それは有罪判決99%という数字が明瞭に示す。

 検察庁と裁判所が、職員の交換出向制度をもっている先進国(OECD加盟国)なんて、他にあるのだろうか。わたしは寡聞にして知らない。

 したがって、それがたとえ「グレー・ゾーン」の稼業であろうとも、霞が関と癒着すれば、あるいは警察と利権・天下り絡みの「お目こぼし」の合意が成立すれば、まず塀の内側には落ちない。

 お天道さまの下で堂々とやってもいいことになっていた。

「東日本大震災直後だったと思いますが、Uさんは資産のほとんどを香港とシンガポールに動かした、と自慢していましたよ」

 とSさんがつづけた。

「大きかったの?」

「自己申告ですので、本当かどうかはわかりません。50億円は超していたそうです。当時の香港では、4人衆とか5人衆とかが、華々しく活動していましたから、そういうのもありか、と」

『香港4人衆』というのは、日本国内の資産を香港経由で海外に移動させる、元国税や金融関係者たちの専門集団。

 一時はマカオにもよく現れていたのだが、ここ2年ほどはとんと見掛けなくなってしまった。

「それを全部、溶かしちゃったのかよ?」

「そうみたいですね。ヤバい筋に追い込みをかけられていたぐらいだから」

「『追い込み』って、ジャンケットで打ってたの? わたしが知ってるUさんは、プレミアム・フロアで打ってたんだけれど」

「ハウスでのクレジットが満杯になって、ジャンケットからも金を引っ張っていたそうです」

 ジャンケットというのは、大王製紙元会長の特別背任事件でも登場した、「カジノ仲介業者」と日本では呼ばれるものだ。

 この職種に関し、日本での認知度はきわめて低いし、また誤情報も多い。

 これについては、次章でわたしが考えるところを説明する。

「あのUさんがね……」

 プレミアム・フロアの勝負卓で、オレンジ・チップ(=1枚150万円)を数枚重ね、ばんばんと行く彼の姿が、わたしの脳裡を過(よぎ)った。

 わたしの知るUさんは、ほぼフラット・ベットという悪癖をもちながらも、強い賭人だったのである。

 そして、おそろしく勝率の高い打ち手だった。

 フェリーは、HKIA(香港国際機場)に到着し、わたしたちはモノレールに乗り換えた。

 車両に揺られながら、わたしは今回の遠征のテーマだった「負け逃げの研究」について考える。

「下げ銭」はすべて、持ち帰れた。

 おまけに、ローリングにつくキャッシュ・バックがあるので、実質上の「勝ち博奕」である。

 しかし、わたしの頭の内部を覆うこの鬱陶しい敗北感は、いったいなんなのだろうか?

 モノレールは、HKIAのターミナルを目指し、暗いトンネルをゆっくりと進んでいた。

(番外編その3・「『負け逃げ』の研究」 了)


番外編その4:『IR推進法案』成立で考えること(1)

~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
新刊 森巣博ギャンブル叢書 第2弾『賭けるゆえに我あり』が好評発売中

賭けるゆえに我あり

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。