第5章:竜太、ふたたび(23)

「ウエイト・ア・モーメント」

 みゆきがディーラーに告げて、ゲームの進行を中断させた。

 VIPフロアでは、これができるからありがたい。

「ウォルター・ミシェルという心理学者の実験があったの」

 みゆきが説明する。

 二者択一で、質問(1)。

 A:100万円が無条件で手に入る。

 B:コインを投げて、ヘッド(表)なら200万円、テイル(裏)ならなにもなし。

 同じく二者択一で、質問(2)。

 あなたは現在200万円の負債を抱えているとする。それで、

 A:無条件で負債が100万円減額される。

 B:コインを投げて、ヘッドなら負債が全額免除されるが、テイルなら一銭も負債は減額されない。

 質問(1)では、入手できるだろう金額の期待値は、どちらも100万円と同額である。それなのに、圧倒的多数の人は、Aの選択肢を選ぶ。

 質問(2)では、両者の期待値は、どちらもマイナス100万円と同額となる。それなのに、質問(1)で堅実な「選択肢A」を選んだほとんどすべての人が、危険性の高い「選択肢B」を採用する。

「いったいなにが言いたいんだ?」

 アルコールで攪乱された竜太の脳では理解不能なことを、みゆきは言っている。 いや、アルコールが入っていないときの竜太の頭脳でも、理解できないことだったのかもしれない。

 この間、ゲームの進行は止まったままだ。

「人間には、目の前に利益があると、その利益を確定させようとしてリスクを回避し(『危険回避性』)、一方、損失を目の前にするとそれを回避する(『損失回避性』)という傾向が強くなる。そういう証明ね」

 とみゆきがつづけた。

「さっぱりわからん」

「『質問(1)』では、正確に半分の確率で、『なにも手に入らない状態』を回避していて、『質問(2)』では、正確に半分の確率で、『負債をすべて免除される状態』を選択しているのじゃない」

「へえ~、それで?」

「『不確実性下の意思決定モデル』として通常『プロスペクト理論』は、投資の世界で応用されているのだけれど、これはカジノでのギャンブルにも当て嵌まると思わない?」

 そりゃ、当て嵌まるだろう。

 なぜなら、投資だってギャンブルの一形態なのだから。

「わたしが言いたいのは、こういうこと。カジノで勝っているときには、その利益を決定したくて『危険回避性』の行動をとり、負けているときには、リスクが大きくても『損失回避性』の行動をとる。つまり、負けているときには、勝っているときにはとてもできないようなベットを仕掛ける」

 なるほどそれなら、竜太にも思い当たるふしがあった。

 思い当たるふしというよりか、いつもそれで大怪我をしてきたのではなかったか。

 たいした勝ちでもないのに、それを確保しようとして手が縮こまり、ベット額がすくなくなる。

 一方、負けている時には、取り戻そうとして、ベット額が大きくなる。

 どうしても、そうなってしまうのだ。

 ところが博奕における本寸法は、勝っているときには、その勢いを信じて、攻撃に向かう。

 その代わり、負けているときには、流れに逆らわず、守備に回る。ただひたすらに、打たれ越す。

 これが勝敗確率50パーセントのゲーム賭博の基本原則のはずだった。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。