ばくち打ち
番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(15)
1日お休みして、その次の日から、今度はレッドのツラがよく出るようになった。
この時は、行ったねえええっ。
自分に律していたはずのルールを破り、勝ち金を翌日クラブにどさりとまた持ち込んで、逡巡を振り切り恐怖を捨て去り、どかどか行った。
いまとなって想い返してみれば、20代半ばのガキがロンドンの大舞台でよう行けた、と他人事(ひとごと)のように感心する。
やはり、博奕(ばくち)では、奇蹟が起こった。
重要なのは、成功体験を信じてはいけない点だ。
成功体験を信じると、まず破綻する。
成功体験は信じないのだが、失敗体験は分析し検証し、そしてその結果得たものを信ずる。
ロンドンに着いてから4か月後の9月初旬だったと記憶する。
この年のロンドンの夏は、珍しく暑かったのだが、やっと秋風が頬に優しく感じられる頃だった。
わたしはロンドンから西に約100マイル、ブリストルから10マイルほど内陸に入るバース(BATH)という人口8万人ほどの都市に、ちょっと気張った一軒家を購入している(笑)。
賭博のアガリだったから、全額現金での購入だった。不動産屋の驚いた顔を、まだ忘れない。
ついでだが、テーブル・ゲームでの勝利金は課税対象とならない(マシン系のそれは課税対象)。
これはおそらく世界中の国でそうなっているはずだ。すくなくともいわゆる「先進国(OECD加盟国)では日本を除きそうなっている。
なぜか?
ギャンブルでの勝ち金を課税対象とするなら、当然にも負け金を総収入から控除しなければならない理屈だからである。
日本の税制度が、きわめて選択的恣意的で異常なのだ。
話を戻す。
バースに住んだのは6年間ほどだったが、わたしの賭博履歴に重要な足跡を残した場所だったので、この都市の歴史にすこしばかり触れておく。
古い町である。
バース(BATH)というのは、つまり「風呂」のことだ。
紀元前60年、進軍してきたローマ帝国の軍隊が、ここで温泉を発見した。
当時のローマ人である。そこに巨大な浴場兼社交場をぶっ建てた。
その遺跡は、現在でもバース駅前に残っていて、ローマ時代の巨大な社交場の面影を偲ぶことが可能だ。
ずっと時代が下がると、バースはリゾート地として、ロンドンに次ぐ一大社交都市に変身した。
経緯はこうだ。
16世紀後半に、この温泉鉱水の医療効果が発表され、エリザベス1世女王によって市に特権が付与された。
17世紀になると、共和制で一時追放されていたチャールズ2世が1660年王政復古でオランダから帰還する。このチャールズ2世というのが温泉好きで、バースをたびたび訪問した。それで、この田舎の温泉町に小さな宮廷社会が出現することとなった。
バース市は王宮対応として、「儀典長」なる役職を新たに設ける。
その初代「儀典長」に任命されたのが、プロのギャンブラーとして有名だったウエブスターというイカサマ師だったから、歴史は面白い。
ウエブスターは、公的事業として賭博場をつくり、あらゆる種類のギャンブルを奨励した、と記録に残る。(小林章夫『賭けとイギリス人』、ちくま新書)
そもそもリューマチや痛風の治療目的で、ブリテン島各地から貴族たちが召使いを大量に従え、療養に来るための都市である。そこに各種賭博場のおまけまでついた。
バースは社交(ギャンブル)都市として、急激な発展を遂げていく。(つづく)