ばくち打ち
番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(16)
ある晩、賭博テーブルでウエブスターのイカサマが発覚した。指摘した方も指摘された方も、お互いの名誉を護るために決闘となった。
テーブルのイカサマ師が慣れないことなどやるものではない。
生死を懸けた大一番ではどうやらイカサマは通用しなかったようで、ウエブスターは、あえなくご昇天。
ウエブスターの後釜として「儀典長」の職を得たのが、オックスフォード大学法学部を中退しギャンブラー兼ジゴロを職業とした変わり種のリチャード・ナッシュという男だった。
ナッシュは宿泊施設、劇場や賭博用集会場を次々と整備し、バースをヨーロッパ大陸を含めても屈指のリゾート都市と変身させた。
ちなみに明治期ロンドンに留学した夏目漱石は、18世紀の英国社会のギャンブル狂いを、
――社会全体が一大賭博場、
と説明している。
ローヤル・クレッセントとかサーカスとかパラゴンとかいう名の超高級集合住宅区域がバースにはある。
半円形ないしは三日月形の建物群だ。
なんでそんな奇妙な形をした建造物なのか?
夜中であろうとも、どの部屋で博奕(ばくち)開帳の灯りが洩れているかわかるように、そう設計したのだそうだ。
1970年代後半、そんな「ギャンブル都市」であるバースに、わたしは一軒家を構えた。
しかも、賭博からのアガリで(笑)。
新居の家具を整える間もなく、子供が生まれた。
義父の手配で入院できたブラッドフォード・オン・エイヴォンのプライヴェート・ホスピタルでの出産だった。
「泣き声の大きさだけなら、西イングランド1」
と産院のシスターに言われた元気な男の子の眼の前にして、博打うちの父親の心境は複雑だった。
いままでは幸運だった。しかし、将来の保証は皆無。
ゼロ、ナッシング。
喰っていけるのか、それとも飢えるのか。
余談となるが、バースに6年ほど住んでから、我が家族はオーストラリアに移住している。
英国を去るときに、この家を5万2000ポンドで売った。
この稿を書くにあたって、あの家のその後が気になり、ちょっと調べてみた。
いろいろと大掛かりなリノヴェーションはしたのだろうが、一昨年春(2018年)のオークションで、なんと200万ポンドを超す金額で落札されていた。
長く生きていれば人間だれでも、一度か二度は金持ちになるチャンスがあるみたいだ(笑)。
問題は、そのチャンスをモノにできるかどうなのか。
ただ、次のように断言しても構わないのだろう。
「四点確保」で現状に必死でしがみついていては、幸運のほうだって訪れようがないではないか、と。
先述したが、そしてこれからも何回でも繰り返すつもりだが、
――リスクを冒さないのは、最大のリスクである。
ロンドンのグリーン・パークのクラブで起きたツラは、間違いなく幸運だった。いや僥倖(ぎょうこう)と呼んだほうがいい。
その後、バースという「ギャンブル都市」に移り住めたのも、同様にきわめて幸運だった、といまとなっては想い返す。(つづく)