ばくち打ち
番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(17)
わたしがとてつもない幸運に巡り合っていたのは、事実であろう。
しかしほとんどの人たちにも、とてつもない幸運に巡り合う機会はあった、とわたしは考える。
多くの場合、それが幸運だと気づいたときに、すでに幸運は過ぎ去っているものなのだ。
「運」の潮目が見切れない。
もちろんこの説の一般化は、できないはずだ。
それでも、以上はわたしのきわめて個的・経験的な解釈である。
リスクを冒さずに、ぽかんと口を開けて眺めていると、「運」はさっさと通り過ぎてしまう。
カジノの勝負卓では、自分のものでは難しくても、他人のそれがよく見えるのだ。
そして、過ぎ去られてから、ああ、もしかしてあれが幸運というものだったのではなかろうか、と気づく。遅いんだよ、あんた(笑)。
英語の諺(ことわざ)では、
――幸運の女神は、前髪を掴(つか)め。
とある。
なぜなら、幸運の女神の後頭部は禿げている。後ろ髪がないからだ。
ちょっと付け加える。
例外もあるのだろうが、幸運というやつは、ただ待っているだけでは、なかなかやって来てくれない。
それゆえ、自ら「運」を引き寄せる作業、という地道な営為ないしは努力が必要となる。
どうやって?
それに関しても、一般論は成立しえないのだろう。しかし、わたしのきわめて経験的かつ個的な理解は存在する。
すなわち、繰り返して述べている「経験の自覚化」だ。
「形の記憶」の形成と呼んでいいのかもしれない。
ただし、成功体験は信じるな。失敗体験のみを信じよ。
わたしはそうやって、ハイエナだの熊だの大蛇だのがうじゃうじゃいるジャングルで、生き残ってきた。
成功体験などという甘美な記憶に縋(すが)っていたら、ひとたまりもなく連中に喰い千切られていたことだろう。
さて、子供の出産をおえると、妻は地元の大学大学院で博士課程に進んだ。
これで生活が安定する。
大学院などに行ったら、学費などでさらに困窮化すると思う人も居るかもしれないが、まったく逆だった。
学費は全額免除。それだけではなくて、国から結構な額の返済不要の奨学金が与えられた。
サッチャー以前の英国である。
充分とは言えないまでも、社会保障と基礎研究のインフラはしっかりとしていた。
想い返してみると、サッチャーという首相は、「民営化」を錦の御旗とし、つくづく英国の社会構造とモラル構造を破片化・破壊したと思う。中曽根康弘大勲位は、サッチャーを尊敬し、かつその真似を試みて、やはり同様な日本における「社会崩壊」の結果を生み出した。なにが「真の保守」だよ、バ~カ。
話を戻す。
借金なしで、かつ結構な持ち家はある。それなりの奨学金で、飢える心配も最低限なくなった。
子供は母乳で育てている。朝、大学に通う前の妻の乳絞りくらいしか、わたしにはやるべきことがない(笑)。
書きたいことはいろいろとあるのだが、ここいらへんもわたしの賭博履歴とは無関係なので、省略する。(つづく)