番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(20)

 博奕(ばくち)を楽しむようになってしまえば、いろいろとあるのだろうが、まあ最終的には必ず負ける。

 当たり前だ。

 何度でも繰り返すが、そういう仕掛けが組み込まれて成立しているのが、ゲーム賭博というものなのである。

 わたしも賭博という底なしの「愉悦」が仕掛ける罠に嵌まってしまっていたのだろう、と感じる。しつこいが、あんなにエキサイティングでスリリングなことはないのだから。

 最低限飢える心配はなくなっても、このまま行けば、確実に地獄が待ち受けていた。

 地獄への道とは、極彩色やみだら色に塗り込まれた興奮の旅程で、結構楽しくて快適なのだ。

 小地獄への旅を何回も経験した者が言うのである。信じなさい。

 グリーン・パークのクラブのルーレット卓で貯め込んだもの、そしてバースで一軒家を購入しても残っていたカネが、羅紗(ラシャ)の上で、少額ずつ溶けていった。

 幸運は必ず去って行く。とりわけルーレット卓やプント・バンコのテーブルで、幸運がいつまでもつづいてくれる、と考えるほうがおかしかったのである。

 勝てないと悟れば、撤退するしかあるまい。

 ここいらへんの見切りは、まだできていた。

 バカには、なかなかこれができない。

 負けても負けても、賭場(どば)に通う。

 単に博奕の泥沼に嵌まり込み、前後不覚・左右霧中・心神喪失・自己崩壊しているだけなのに、なぜか勘違いして「滅びの美学」なんて言い出す。

 どこの賭場でも、この手の連中で溢れている。

 すっからかんになるまで、博奕を打つ。

 すっからかんになっても、どこからか「忙しいゼニ」を引っ張ってきて、まだ打ちつづける。

 だから胴とは、高額紙幣の印刷機を持っているみたいなものなのだ。

 賭博癖のせいで、職を失い、家族に逃げられ、公園で寝てごみ箱を漁り、公衆便所の水で身体を洗って、なにが「美学」だよ、バ~カ(笑)。

 敗北を重ねながらも、撤退・転進・退却の潮目を読むことは、まだわたしにできていたのだろう。つまりまだ「眼に血が入って」いなかった。

 ここいらへんは、高校生の頃からの、経験の蓄積のおかげだ。

 バースに住みだしてちょうど4年経った時だが、合法・非合法にかかわらず博奕場に顔を出すことを、わたしはぴたりと止めた。行くエクスキューズはいくらでも考え出せたのだが、でも行かない。自らで自らに課した、禁足である。

 ついでだが、「転進」とは「壊滅的敗北」を意味する大日本帝国大本営用語。

 賭博からの収入はなくなり、生活費としてすこしずつ削られて、蓄えも残り少なくなったころだった。

 妻が博士号を取得する。

 大学院生としての成績や実績、および博士号論文がかなり優秀だったからなのだろうが、妻が出願していたロンドン・シンガポール・オーストラリアにあるみっつの大学のすべてから、教員採用としてのオファーを受けた。

「どうする?」

 と妻。

「どうでもいいよ。好きなところにして」

 とわたし。

 当時、ロンドンとオーストラリアには公認のカジノがあった。

 この頃のシンガポールには公認の博奕場はないのだが、すぐお隣りのマレーシア・クアラルンプールの近郊にはゲンティンがあった。

 どこでにせよ、賭博の場に困るまい。

 新天地で、2年ぶりに賭博稼業再開である。(つづく)

⇒続きはこちら 番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(21)

2020.11.12 | 

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。