番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(23)

 この『牌九』を専攻したおかげで、わたしはシドニーに着いてから以降、40年間という永きにわたり、博奕(ばくち)という修羅の場で生き残れたのだろう。

 ルーレット、BJ(ブラックジャック)、バカラ等を専攻していたら、とっくの昔に討ち死にしていた、と確信する。

 生き残れているはずがない。

 刀折れ、矢尽きて、あえなく戦場の苔となっていた。

 またまた繰り返す。そういう仕掛けが組み込まれ成立しているのが、カジノで採用されるゲーム賭博である、と申し上げる他はない。

 それでは、なぜ、『牌九』を専攻すれば、そういうゲーム賭博の仕掛けやら罠から逃れられるのか、あるいは、逃れる可能性を有するのか?

 いくつかの因子を挙げられる。それでも大きな理由としては、以下の二点が存在する。

(A)経験の蓄積や技術・技量・能力が、勝負結果にそれなりの影響を及ぼす種類の賭博ゲームである。

 そしてこちらのほうが大きな因子であろうが、

(B) 打ち手が庄家(=荘家とも表記する。「オヤ」のことだ)を取れる。

 すなわち、『牌九』は、ハウス相手ではなくて、対人(打ち手同士)の賭博だった。

 説明しよう。

 カジノが採用するゲームとは、「赤・黒および数字当て」とか、「21を上限とする数の大きさ」とか、「最大三枚のカードで、甲乙両者の持ち点を競う」とか、きわめて単純なルール・性質を有するものがほとんどである。

 ハウス側にとっては、打ち手側の経験の蓄積とか技術・技量・能力が、勝敗に(ほぼ)影響を与えない種類の賭博ゲームを採用する必要がある。

 それゆえどんな大手ハウスでも、ルーレット・BJ(ブラックジャック)・バカラ等が、カジノの主要テーブル(つまり最大の収入源)となっている。

 そりゃ、そうだ。

 高度の練達・訓練・技量・能力が勝敗を決する対ハウスのゲームを、カジノが採用したりしたなら、大変なことになってしまう。

 もしそれが将棋だとしたなら、たとえば羽生善治・渡辺明・豊島将之・永瀬拓也・藤井聡太といった面々が、カジノに100億円を持ち込み、

「さあ、将棋で100億円を勝負しましょう。すぐ指しましょう。いま指しましょう」

 なんて言い出したら、カジノは一目散に逃亡するしかあるまい。

 カジノにとって、「強い奴」が勝つようなゲームは鬼門なのである。

 それゆえ、カジノで採用されるゲームとは、2~3分も眺めていればどういうものであるのか、すぐに理解できる。単純でかつ勝敗は運次第、というものばかりとなっている。複雑で難解なルールのゲームは、不都合だ。

 例外は、セヴンカード・スタッドとかテキサス・ホールデムとかいったポーカー類であろうが、これは打ち手同士を競わせて、ハウスは勝ち金(ポット)に課税する(レイク)するシステムだから、どんなに「強い奴」が現れても、ハウスの腹が痛むということにならない。

 そして『牌九』も、(対ハウスの勝負になることもあるのだが)ほとんどのケースでは対人の賭博となり、この例外の一種目に含まれた。

 すなわち、打ち手同士の「合意の略奪闘争」である。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。