カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第45講・満州人とは」

好太王碑

好太王碑

ハイパーインフレはなぜ起きた?バブルは繰り返すのか?戦争は儲かるのか?私たちが学生時代の時に歴史を学ぶ際、歴史をカネと結び付けて考えることはほとんどありませんでした。しかし、「世の中はカネで動く」という原理は今も昔も変わりません。歴史をカネという視点で捉え直す!著作家の宇山卓栄氏がわかりやすく、解説します。                   

ツングース系満州民族とは


 1644年~1912年の間、中国を支配した清は満州人の王朝です。中国東北部の辺境に位置する異民族満州人が、なぜ覇権を握り、約260年間も中国を支配し続けることができたのでしょうか。そもそも満州人というのはどのような民族なのでしょうか。

 中国東北地方の満州を原住地とする満州人はツングース系民族であり、広義の意味でモンゴル系に含まれます。ツングース系民族は、満州、朝鮮半島北部から南シベリアの地域にかけて住んでいた民族の総称で、ツングースとは「豚を飼育する人」という意味を持つとする説があります。

 ツングース系民族は「文殊(マンジュ)菩薩」を崇拝していたことから、「マンジュ」に満洲の漢字が当てられました。

 ツングース系満州人が最初に建国した王国が高句麗です。紀元前1世紀に、朝鮮半島北部に建国され、4世紀末から5世紀に最大版図に達し、満州全域・遼東半島・朝鮮半島北部の広大な領域を支配しました。

 高句麗の第19代の王、広開土王(好太王)はこの時代の王で、朝鮮半島南部に遠征し、百済を攻めました。百済と同盟を結んでいた日本(大和朝廷)は軍を朝鮮に派遣し、広開土王と戦います。この戦いについて、有名な「広開土王碑文」に記されています。

 高句麗の歴史は小学校の歴史教科書にも掲載され、朝鮮の歴史というカテゴリーで習うため、我々は「高句麗が朝鮮人の王国」というイメージを強く持っています。

 しかし、高句麗はツングース系、満州人の王国です。ツングース系満州人と朝鮮民族は、生物学的な遺伝子からも、言語系統からも異なる民族とされます。

 高句麗が7世紀、唐に滅ぼされた後、満州人は満州に渤海を建国し、10世紀に、高句麗の後継を名乗った高麗が建国されます。高麗はツングース系満州人を支配層とする朝鮮の統一王朝です。この時代に、朝鮮半島では、満州人と朝鮮民族の混血がかなり進んだと考えられます。

 朝鮮の歴史は、朝鮮民族単独でつくられたものではなく、満州人との並存・共存の中でつくられ、満州人の歴史も朝鮮半島との深い関わりによって、形成されました。

民間主導の互市貿易


 ツングース系満州人の中で、女真族という満州北部に居住する一部族がありました。女真はジュルチンの漢字の当て字で、ジュルチンとは満州語で、「民」を意味する言葉とされます。

 12世紀はじめ、女真族が満州の統一を進め、金王朝を建国します。金王朝は万里の長城を越えて、中国に攻め入り、宋王朝を滅ぼして、中国の北半分を支配しました。しかし、金王朝は、13世紀、モンゴル帝国に滅ぼされます。

 以後、満州人は中国の元王朝、明王朝に服属します。この約300年間、満州人は「互市貿易」と呼ばれる異民族間の民間商業取引を主導し、富を蓄積していきます。

 満州はモンゴル、中国、朝鮮の三勢力が交わる結節点に位置し、物流の拠点として、ヒト・モノ・カネを集めました。

 14~15世紀、明王朝が北方のモンゴルと激しく争い、国交が途絶していた時、両勢力の軍需物資は、満州の互市貿易で調達されます。

 民間主体の互市貿易は間接取引の場として、両勢力に不足物資を供給する役割を果たし、両勢力の戦争が激しくなればなる程、軍需物資を中心とする取引が活発になり、収益が上がる仕組みになっていました。

図 互市貿易の流通システム


【宇山卓栄(うやま・たくえい)】
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。著書は『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)ほか。





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