カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第46講・優れた利害調整能力の源泉」

清王朝の全盛を担った乾隆帝

清王朝の全盛を担った乾隆帝

ハイパーインフレはなぜ起きた?バブルは繰り返すのか?戦争は儲かるのか?私たちが学生時代の時に歴史を学ぶ際、歴史をカネと結び付けて考えることはほとんどありませんでした。しかし、「世の中はカネで動く」という原理は今も昔も変わりません。歴史をカネという視点で捉え直す!著作家の宇山卓栄氏がわかりやすく、解説します。                    

モンゴル人を支配

 満州人はこうした互市貿易の収益構造を背景に力を蓄え、台頭します。1616年、ツングース系満州人の諸部族が統一され、遼東半島北部の瀋陽を首都します。  しかし、この時点で、満州人の勢力は未だ、充分な力を持っておらず、明王朝と戦い、大敗しています。満州人は互市貿易で成功していたとはいえ、明王朝とモンゴル人の勢力は依然、強大で、両勢力に圧倒されていました。  1630年代に入り、満州人に大きなチャンスが訪れます。モンゴル勢力に、野心家のリンダン・ハーンという支配者がいました。  彼は、自らをチンギス・ハーンの生まれ変わりと称し、分裂していたモンゴル諸部族の統一を目指しました。  当時、モンゴル諸部族は緩やかな連合を組み、互いに干渉しないことを掟としていましたが、リンダン・ハーンはそれに逆らい、強引に諸部族を制圧していきました。リンダン・ハーンによって、壊滅させられた部族もありました。  リンダン・ハーンが1634年に病死すると、反リンダン派の部族が一斉に反乱を起こし、モンゴルは分裂しました。この反リンダン派部族に支援の手を差し伸べたのが満州人でした。  当時の満州人の支配者ホンタイジは、彼らへの支援と引き換えに、モンゴルの指導者であるハーン位を譲り受けます。  この時、ホンタイジはモンゴル人勢力の約半分を一挙に取り込むことに成功し、満州人勢力は躍進しました。(因みに、モンゴル人勢力の残りの半分は康煕帝が制圧。) 1636年、ホンタイジは国号を「清」と定め、清王朝を創始します。

第3の勢力

 モンゴル人勢力を取り込んだ清は1637年、朝鮮を屈服させます。そして、朝鮮から莫大な兵糧を拠出させて、清は長城を越えて、明王朝と戦います。  当時、明では、陝西で起きた旱魃をきっかけに、大規模な反乱が起こりました。明の朝廷は満州人対策に追われ、反乱の鎮圧のための軍を裂くことができませんでした。そのため、反乱軍は勢力を拡大し、1644年、明は、あっさりと反乱軍に滅ぼされました。  清は逃亡してきた明の軍人たちを支援しながら、反乱軍を蹴散らし、北京に入城します。清は中国の混乱に乗じて、電撃的な速さで、中国侵攻を成功させました。そして、17世紀後半、康煕帝の時代に、清は中国全土を統一します。  14世紀以来、モンゴルと明王朝は激しく争い、長期に渡る戦いで疲弊し、力を失っていきます。そして、17世紀初頭に両勢力内部で、反乱が起こり、分裂しました。  両勢力の狭間で機会を窺っていた第3の勢力である満州人は、両勢力の内部抗争を巧みに利用し、両勢力を服従させていき、覇権を握ったのです。  満州人はかつて、モンゴルや中国という強大な勢力を前に、互市貿易などを通じ、彼らの利害を調整し、辺境で力を蓄えてきました。  清王朝の繁栄は、満州人が長い歴史の中で培ってきた忍耐力と知恵の賜物である、と言えます。 【宇山卓栄(うやま・たくえい)】 1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。著書は『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)ほか。
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