緊迫するウクライナ情勢に関する日本人の四つの誤解(後編)

<文/グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』連載第12回>

ウクライナで政権交代

ウクライナ東部ドネツィクの親ロシア派(2014年3月8日)

 前回の記事では、ウクライナで2013~2014年に起こった反政府デモの結果、政権交代が起こり、大統領選挙の実施が決まったところまで述べた。  その後、旧与党から離脱した議員と旧野党が協力して、国会で過半数を占めるようになった。本来、旧政権を支えることで手を汚した人を、新与党に入れることはよくないことであろう。だが、現実問題として、国家運営のために新政権を樹立させる必要があったので、それはあの時点でやむを得ない措置であった。  2月26日に新内閣が発足した。多くの試練を乗り越えて大きな犠牲を払ったウクライナは、これでようやく発展のチャンスを手に入れたという雰囲気になった。あの時点では、これが試練の始まりに過ぎないことは、まだ誰も知らなかった。

ロシア軍、クリミア半島へ侵略

 脅威はすぐに訪れた。翌日27日以降、ウクライナ南部のクリミア半島のセバストポリ市に駐屯していたロシア軍は、基地から出てクリミア半島を動き回るようになった。ロシア軍は次第に全土に広がって、半島を占領しにかかったのだ。  まず最初にクリミア自治共和国の最高会議堂が、ロシアの特殊部隊に占拠された。その後、各省庁の公舎や自治体の役所、そしてウクライナ軍の軍事施設も占拠されていった。  別の機会に詳しく述べるが、ウクライナはせっかくソ連から独立した時に受け継いだ強い軍隊の大部分を、主として経済的な事情と平和ボケの風潮により手離してしまったため、ウクライナは抵抗する力が無かった。また、あまりにも驚愕的な展開で困惑して、抵抗するべきなのか、じっとするべきなのかという判断すらできず、結果としてウクライナはほとんど無抵抗でいた。  新政府は何度もロシア政府と連絡を取ろうとしたが、ロシアは一切応じなかった。新政府はロシアと交渉して、ウクライナは独立を保つとはいえ、決してロシアに敵対的な国にならないし、ロシアへの脅威になることは絶対ないと伝えようとした。またウクライナは、武力を使わない代わりに、ロシアとある程度妥協する姿勢すら見せた。  しかしロシアは、絶対服従しか認めるつもりはなかったので、ウクライナ新政府の交渉要請を一切蹴って、クリミア占領作戦を続けた。ロシアは、3月18日にクリミアの領有宣言をし、3月末までにクリミア各地の制圧を完了した。

ロシア、ウクライナ東部も占領

 このような蛮行に対して、ウクライナ社会は仰天した。だが一方で、これでロシアは満足するだろうとほとんどの人が思っていた。  しかし、ロシアは侵略を続けたのだ。4月の半ば以降、ウクライナ東部のドネツィク州、ルハーンシク州にロシアから入ってきた非正規武装集団が、現地の売国奴と一緒に暴動を始めた。  またロシアからの武装集団はなかったが、ウクライナ国内の売国奴が他の地域でも暴動を起こして、混乱を画策していた。例えば、ハルキウ州やオデッサ州にも、親露暴動が起きた。しかし、ドネツィク州、ルハーンシク州以外の場所における暴動は、愛国者の自衛団と警察が犠牲者を出しながら抑えることができた。  ドネツィク州とルハーンシク州は、警察や役所にも売国奴が大量にいたので、暴動が抑えきれず広がってしまった。各市町村の国家機関や行政機関の公舎が占拠された。そして5月半ばの時点で、両州の半分ずつぐらいは事実上武装集団に占領された状態になった。  この最中、5月25日に大統領選挙が実施され、実業家のペトロ・ポロシェンコが一回戦投票で当選した。

ウクライナ軍、東部奪還作戦開始

 さて、ウクライナ軍や民兵は、占領された領土の解放作戦を始めた。武装集団に占領された自治体は、少しずつウクライナ軍に解放されていった。  武装集団は最初、入ってくるウクライナ軍を前にあまり抵抗せずに後退していので、死者数は少なかった。しかし、当初、小銃しか持っていなかった武装集団は、次第に戦車や大砲、戦闘車両や地対空ミサイルを持つようになり、戦闘力も上がった。つまり、ロシアから兵器や人員が入ってきたということだ。  今は笑い話になっているが、武装集団の指導者が記者会見で記者から次のような質問を受けた。 「こんなすごい兵器をどこで手に入れたのか?」  それに対して、主導者は答えた。 「お店で買った」  戦車や地対空ミサイルシステムが売っている店なんて、どこにあるのか。だが、彼らはとにかくロシアの参戦を否定しなければならなかったので、どんなに下らないウソであろうと平気で言い放ったのだ。  6月から7月にかけて激しい戦闘が繰り広げられ、一日あたりの死者数は増えていった。そしてロシア領土から、国境を越えて大量のミサイル攻撃がなされ、ロシアから発進した戦闘機がウクライナ軍用機を攻撃していた。  ウクライナは多くの犠牲者を出しながら、それでも少しずつ領土を解放していった。7月の中ごろ、ロシア正規軍はもう直ぐ国境を越えるという雰囲気になった。

マレーシアの民間機、撃墜される

 しかし、その時、ロシアの動きを一時的に止めた事件が起きた。それは7月17日のマレーシア民間機の撃墜事件であった。オランダのアムステルダムの空港からマレーシアのクアラルンプール国際空港に向かっていたマレーシア航空の定期旅客便が、飛行中に地対空ミサイルによって撃墜され、ウクライナ東部のドネツィク州村に墜落した。撃墜による航空事故として史上最多の死者数となった航空事故である。  この事件の直後、ウクライナの戦闘機がやったという説が出回った。ロシアのニュースサイトでも、親露派勢力がウクライナの軍用機を撃墜したというニュースが現れた。しかし、数時間後、その投稿と、アカウントそのものが削除された。  それを撃墜したのはロシア正規軍の部隊であることは疑いようがない。なぜなら、非正規の武装集団が地対空ミサイルシステムという複雑な兵器を扱うことはできないからだ。特別の訓練が必要なのである。  加えて、撃墜直後、武装集団のリーダーの一人が、「ウクライナ軍用機を撃墜した」と非常に喜んでいる様子でSNSで投稿をしていた。つまり、これはロシア軍による誤射であった。ウクライナの軍用機を攻撃するつもりで、関係のない民間機に当たった。あの地域に実際に同じ時間帯にウクライナの軍用機が飛んでいた。ロシアは急いで、ありとあらゆるデマを流して、状況を曖昧にしようとしたのである。  後の各国による調査や、複数の独立調査団によって、撃墜はロシア軍の部隊がやったことが明らかになった。

ウクライナとロシアのミンクス合意

 この事件のため、ロシアに対する国際的な批判が勢いを増した。西洋諸国による実質的な対露制裁はこの事件以降始まったのだ。そして、7月に予定していたロシア正規軍によるウクライナへの全面侵略もロシアは見送った。  ロシアが一時期、正規軍の参戦を見送ったことによって、ウクライナ軍の進撃が続いた。7月後半から8月下旬までの間に、激しい戦闘が繰り広げられた結果、ウクライナ軍は親露武装集団をほとんど壊滅に近い状態に追い込み、占領された領土の大部分を解放した。  しかし、8月22日に、ロシア正規軍が国境を越えてウクライナ軍へ大規模な攻撃をかけた。圧倒的な戦力差のため、ウクライナ軍は敗れて、戦局は逆転した。そして、一時的に解放された領土の多くは再びロシアに占領された。  ロシア正規軍の参戦とウクライナ軍の敗北を受けて、ウクライナ政府は和平交渉に参加せざるを得なかった。本来、ウクライナ領内のことだから何の和平交渉もいらない。国内から敵勢力を追い出すことは当然の権利であるからだ。だが、ウクライナは厳しい現実を目の前にして、妥協せざるを得なかった。  もちろんウクライナの政府は、領土帰属に関する妥協は一切しないという立場を一貫している。9月上旬、ウクライナの北にあるベラルーシ共和国の首都ミンスクに、ウクライナとロシアの代表団が会って和平交渉を始めた。  その結果、いわゆる「ミンスク合意」という和平合意が結ばれた。合意の内容は、現在占領されている地域において、特別行政制度を認める代わりに、武装集団が武装解除をして、外国人戦闘員は全員ウクライナ領内から撤退するということであった。  しかし、この合意はロシアによって破られて、2015年1月に再び大規模な戦闘が始まった。ロシア軍は進撃を始めて、激しい戦闘は数箇所で起こった。2月になると、ミンスクで再び和平交渉が行われた。今度は首脳達が集まった。ウクライナのポロシェンコ大統領、ロシアのプーチン大統領、そして仲裁として、フランスのオランド大統領とドイツのメルケル首相も参加した。  交渉は難航した。首脳が集まっている間でも、ウクライナ東部で激しい戦闘が続いていた。最終的に、「第2ミンスク合意」という名の和平合意が結ばれた。  その内容はウクライナにとってさらに不利であった。占領されている地域の特別行政制度をウクライナ憲法に明記すること、そして、特別行政区域では中央政府が口出しできない税制と独立の警察組織が保証されるということであった。その代わりに、ロシア軍や武装集団は撤退し、現地の戦闘員は武装解除するという条件であった。  片やロシアにとっては極めて有利な条件で、事実上、ウクライナ国内で「親露特区」が認められたようなものだ。  だが、自ら署名した合意でも、常に破るのがロシアという国である。2015年3月以降、たしかに大規模な戦闘が起きなくなった。しかし、小規模な攻撃やミサイル発射、砲撃や銃撃は常に繰り返されている。2019年の現在でも、戦争はまだ続いており、毎日のように死者が出ており、戦争が終結する見込みはない。

ロシアはウクライナ征服を諦めない

 西側諸国は毎年、対露制裁を継続しており、少しずつ制裁を強化している。しかしロシアはウクライナを支配したいという願望を強く持っている。だからウクライナ征服を諦めない。  とはいえ、ロシアは軍事力だけでウクライナ全土を制圧して、占領することはできない。だから、ロシアは作戦を変えた。今のロシアの作戦は大よそ以下の通りである。  まずは、小規模な戦争を延々と続けることによって、ウクライナを疲弊させる。次に、財政破綻に追い込んで、ウクライナで内部混乱を起す。そして最後に混乱に陥ったウクライナを国内にいる親露派によって乗っ取ることが最終目的である。  これを実行するための手段とは、先述した小規模な戦争と、プロパガンダと謀略である。ロシアの隠れプロパガンディストはウクライナ国内で絶望的な雰囲気を醸し出そうとしている。つまり、「ウクライナはもうだめだ」「この戦争はいつまでも続く」「明るい未来はあり得ない」という話を広めることによって、ウクライナ人から希望を奪って、脱力させようしている。そして、侵略者に抵抗する意思を潰そうとしているのだ。  また、混乱を起すために、ロシアの諜報機関はウクライナ国内で爆破テロや暗殺を起している。

ウクライナはどうすべきか?

 では、このような状況をどう打破すればいいのか。今、ロシアとウクライナの間に持久戦が続いている。持久戦では、先に倒れた方が敗北する。ロシアの目的は先述した通りである。  ではウクライナ目的とは何か。それは当然、独立を守ることである。そのために、ロシアが倒れるまで、耐え忍ぶしかないのだ。これを聞くと多くの人は、「ロシアに勝てるなんて、無理だろう」と思うかもしれない。  たしかにウクライナにとって状況は厳しい。厳しいが、実は勝算がある。耐え忍ぶ方法とは、「諦めずに頑張る」ということだ。ロシアのプロパガンダや謀略に動揺せずに、自国を信じること。そして毎日一生懸命それぞれやるべきことをやることである。  具体的にこれからのウクライナにはさまざまな課題がある。軍事力強化、自国の歴史認識の形成、ロシア工作員の取り締まり、経済改革や汚職の駆除など、やるべきことは多い。もちろん大変ではあるが、これらはすべて、十分実現可能なことである。これらを粛々と行っていけば、侵略者ロシアが何をしようとも耐え忍ぶことができるのである。    では、ウクライナが耐えられたところで、ロシアは諦めるか。諦めざるを得ないだろう。ロシアが先に疲弊する可能性は十分あるからだ。既にロシアの通貨ルーブルは戦争の前より価値が半分になっている。2010年~2013年は対米ドルで安定的に推移したが、2014年初め1ドル=33ルーブルだったのが、2016年1月には1ドル=86ルーブルまで下落した。  またロシア人の生活水準は既に5年連続低下している。つまり、ロシアに対する経済制裁はまだ不十分ではあるが、効果があるのだ。いつかの時点で、ロシアに対ウクライナ戦争を起こす経済的な余裕がなくなるだろう。ウクライナはそれまでに軍で国を守ると同時に、内政をしっかりさせなければならない。  さらに国際社会の役割も大きい。直接参戦しなくても、ロシアに対して経済制裁を強化して、ロシアを財政破綻に追い込むことができれば、ロシアはこの侵略戦争をやめざるを得なくなるだろう。

ウクライナの真実

 以上、簡単ではあるがウクライナ情勢の全貌を説明した。前編の冒頭に述べたことをおさらいしよう。 ①ウクライナで民主的に選ばれた政権が違法クーデターで倒された。 ⇒違法クーデターが起きたのではなく、自国民を殺した売国奴大統領は、正当な裁きを恐れて逃亡した。 ②ウクライナの反政府デモは西洋(若しくは国際金融資本)が首謀した。 ⇒反政府デモは、外国の勢力が首謀したのではなく、国を売ろうとした国賊政権を倒し、独立を守るために国民は立ち上がったのだ。 ③ウクライナで親露派対親欧米派の対立が起きている。 ⇒親露派と親欧米派のウクライナ人の対立などはない。大多数のウクライナ人は愛国者であり、ウクライナの独立を望んでいる。それに対して、ロシアの属国でいたい売国奴が一定数いるが、売国奴の意見を真面目に聞く国はどこにあるのか。 ④ウクライナの状況でロシアに脅威があったからプーチンは介入せざるを得なかった。 ⇒ロシアは介入せざるを得なかったのではなく、拡張主義や帝国主義、そして支配欲に基いて侵略戦争を起した。ウクライナはロシアにとって脅威ではないから、防衛が目的ならウクライナを攻撃する必要はまったくなかったのである。  このように、日本で出回っているウクライナ情勢についてのいくつかの話は嘘であることは明らかである。 【グレンコ・アンドリー】 1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
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