香港のデモと不気味な中国

天安門事件と香港のデモ

「逃亡犯条例」改正案の反対を唱える市民デモが香港で行われているが、今年は中国の天安門事件から30年目にあたる。  多くの犠牲者を生んだ天安門事件は、改革開放を進めた最高実力者の鄧小平の指示により武力で阻止された。  改革開放路派の鄧小平は日本でも人気が高く、1978年の訪日の際には国内で大歓迎された。人民服の人なつこい笑顔。日本の新幹線に乗り、工場見学など行うなど、鄧小平の姿は大々的に報道されていた。  そんな平和的イメージの鄧小平が指示して、天安門では人民解放軍が国民に銃を向け、多くの死傷者が発生したのだ。西側はこの事件から、民主的になってきたとの中国に対するイメージが一変したのである。  権力闘争もあって毛沢東から追放され、のちに復活を遂げ最高実力者となった鄧小平。その経歴をみれば、「笑顔がかわいいおじいさん」ではなく、冷徹な権力者であることがわかる。

中国を助けた日本

 天安門事件を機に西側諸国は中国との経済交流を中断するなど距離をおきはじめる。だが、世界から孤立しかけた中国を助けたのが日本だった。1992年10月に、中国の要請を受けた天皇陛下の訪中から、世界は中国との交流を再開しはじめることとなった。  中国と日本の関係でいえば、日本が中国に好意的な姿勢で臨んでも、中国は日本に対する姿勢を使い分ける。のちの、江沢民が1998年に訪日した時の宮中晩さん会の席で、わざわざ日本を批判したり、彼が実は反日教育を始めたことからもよくわかる。  この時代、国内で政治権力を握っていたのが、日中国交正常化を成し遂げた田中角栄総理の流れをくむ田中派であり、田中派出身の小沢一郎も民主党政権時代に中国に対して卑屈な外交を行った。   2009年12月に訪中した際、参院選を前にした自分を「人民解放軍でいえば野戦軍司令官」と例え、百人以上の国会議員が胡錦濤主席との握手と写真撮影をするなど、位負けの朝貢外交を繰り広げた。

今後の香港の姿と中国

 まだまだ発展途上だった中国市民に素朴な親しみを感じていた80年代のころの日本人にとって、改革開放に舵を切った中国に対して悪いイメージはまったくなかった。  だが30年後の現在、中国は世界の覇権を目指しつつ、人権無視で少数民族弾圧をする凶暴国家となってしまい、日本の対中観も大きく変わった。  香港での市民デモによる混乱は、なかなか収束を見せないが、デモのニュースを流すNHKの映像は中国では映像が途切れて見られなくなったようだ。デモが中国国民を刺激することを中国政府は恐れているのだろう。  香港のデモは、天安門を武力鎮圧した中国共産党の恐ろしさが気になるが、もしかしたらデモが中国への抵抗へのきっかけになるのかもしれないとも感じさせる。 参考:『左翼老人』森口朗著(扶桑社新書)
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