地方再生の街路イノベーション:「クルマ車線」を削って賑わう京都・四条通1

クルマを締め出せば、道は人で溢れる

 日本には、「道路はクルマのためのもの」だという固定観念が、色濃くある。実際、多くの道路空間はクルマのために使われており、歩行者のための空間は限られている。  しかしその正反対に、「道路からクルマを締め出して、歩行者に開放する」という理念でつくられた歩行者天国は、実に大きな成功を収めている。  例えば日本有数の繁華街である銀座や新宿、秋葉原はいずれも、週末は「歩行者天国」を導入し、全国有数の集客数を誇っている。  あるいは京都の寺町通や新京極通もまた、週末のみならず平日も含めて、歩行者天国としてその道路空間が歩行者に開放されており、毎日大量の人々を集めている。  つまり「道路はクルマのためのもの」という固定観念を捨て去り、道路からクルマを締め出せば、多くの人で溢れるのが実態なのだ。その究極的な形の一つが、京都の祇園祭だ。  祇園祭には、宵々山、宵山と呼ばれる夜があり、その間だけ、都心部の主要道路すべてからクルマが排除され、歩行者にすべての道路空間が開放される。  この宵山、宵々山は、祇園祭を楽しみにしている多くの人々にとっての最大のメインイベントなのだが、人々はそこで何か特別のことをするわけではない。  夏の暑い夜に夥おびただしい数の人々と一緒に練り歩く─ただそのためだけに、何十万という人々が集まっているわけだ。これぞ、国内最大規模の「歩行者天国」と言うことができよう。

なぜ人は「道からクルマを締め出す」のが好きなのか?

 道からクルマを締め出せば、なぜかくも大量の人々が集まってくるのだろうか。  その第一の理由は、クルマが走るところを歩くのは、全くもって「嫌なこと」だからだ。クルマが排除されればそんな嫌な思いをしなくてすむ。  例えば、商店街の中の歩行者を対象とした筆者の心理学研究によれば、同じ道路上でも、クルマとすれ違った時の「気分」は「楽しくない」一方で、クルマがいない時の「気分」は「楽しい」水準にあることが示されている。  だから、多くの「魅力的なポテンシャルを潜在的に持っている街」は、クルマが走っていることで「嫌な街」になってしまっているのである。  一方で、そんな街はクルマさえ「排除」できれば、本来の「魅力的な街」に戻ることができるのである。  第二に、クルマさえいなければゆったりと歩く空間が確保され、結果、「友達同士、話しながら並んで歩く」「子供を好き勝手に歩かせる」といったことが可能となることも、重要な理由だ。  そうなれば自ずと、歩きながら「笑顔」になる機会も増える。実際、埼玉大学の久保田尚教授の研究グループの調査では、歩行者天国ではそうした自由な行為が増えていくと同時に、「笑顔」になる割合も20%以上も増えることを示している。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。
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