ホーガン&サベージの“サマースラム”――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第82回
1988年の春から夏までのハウスショーのメインイベント、サベージ対“ミリオンダラー・マン”テッド・デビアスの定番カードは全米各地で毎晩のように1万人クラスの大観衆を動員したが、観客はそれでも新しいドラマのスタートを望んでいた。
ホーガンは映画の撮影終了後、8月第2週から全米ツアーに復帰。WWEは前年1987年11月の“サバイバー・シリーズ”、翌年1月の“ロイヤルランブル”、春の“レッスルマニア”につづくPPV路線の第4弾として新イベント“サマースラム”をプロデュースした(1988年8月29日=ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン)。
ビンス・マクマホンはPPVを年4回、定期開催することでPPV市場の独占を狙った。ライバル団体NWAクロケット・プロはすでに経営危機に陥り、“テレビ王”テッド・ターナーへの身売りを検討。この年の11月、ターナー・グループの傘下企業として新団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)が誕生した。
“サマースラム”のテーマは、ホーガン&サベージの新ユニット“メガパワーズ”の結成だった。メインイベントは、この年の“レッスルマニア4”の続編といっていいホーガン&サベージ対デビアス&アンドレ・ザ・ジャイアントのタッグマッチ。特別レフェリーのジェシー・ベンチュラがデビアスの“買収”に応じるかどうかという伏線も用意された。
試合は、サベージのセコンドのエリザベスがドレスを脱ぎ捨ててデビアスとアンドレを“悩殺”し、サベージが十八番のトップロープからのダイビング・エルボードロップでデビアスをフォール。ホーガン&サベージのメガパワーズがリングのまんなかで仲よく筋肉ポージングをとるシーンがPPVのフィナーレになっていた。
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