AWA世界王者から“Mrパーフェクト”へ――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第86回
カートはそれから1年間、AWA世界王者として古巣に残留したが、ジェリー“ザ・キング”ローラーに敗れチャンピオンベルトを明け渡した試合を最後にAWAを退団(1988年5月9日=テネシー州メンフィス)。翌6月、正式にWWEと専属契約を交わした。
“ミスター・パーフェクト”というニックネームは、どちらかといえば苦肉の策だった。AWAとWWEの根本的なちがいは、スーパースターひとりひとりのキャラクター設定とそのコンセプトづくりにあった。WWEは“元AWA世界王者”という業界的なプロフィルではなく、あくまでもオリジナルの人物像をカートに求めた。
“ミスター完ぺき”は、“ミリオンダラー・マン”テッド・デビアスが完全無欠のアスリートになったようなキャラクターだった。ボウリングをさせれば300点満点のパーフェクト・スコア。ゴルフならホール・イン・ワン。バットを振れば場外ホームラン。プール(ビリヤード)だったら最初の一打ですべての球をポケットに落とし、ダーツを投げればブルズ・アイに百発百中。WWEはこういった“衝撃シーン”のプロモーション映像をプロデュースし、ビデオクリップのエンディングのところではカートがカメラに向かい「アイ・アム・パーフェクト」とつぶやき、それからニヤリと笑った。
ビジュアル面でも何度かのマイナーチェンジがトライされた。AWA時代は栗色だった髪の色は明るいブロンドになり、ナチュラルなウエーブのかかった髪は、肩にかかるくらいの長さのカーリーヘアに変わった。右手に持った白いタオルは大先輩のニック・ボックウィンクルのトレードマークを拝借したもので(ニックは往年の“ネイチャー・ボーイ”バディ・ロジャースのスタイルをコピー)、シングレット・タイツはビンスの発案だった。
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