“新発売”アルティメット・ウォリアー――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第84回
アルティメット・ウォリアーは隔離され、保護され、加工されてメインイベンターのポジションを与えられたスーパースターだった。
ウォリアー(本名ジム・ヘルウィグ)は1985年11月、“相棒”スティング(本名スティーブ・ボーデン)とのタッグチーム、フリーダム・ファイターズとしてテネシー(ジェリー・ジャレット派)でデビューした。
その後、このルーキー・コンビはチーム名をブレード・ランナーズと改め、ルイジアナのMSWA地区(ミッドサウス・レスリング・アソシエーション=ビル・ワット代表)に転戦したが、ここでふたりはチームを解散した。
ウォリアーとスティングがあのままタッグチームとしての活動をつづけていたとしたら、1980年代後半から1990年代にかけてのアメリカのレスリング・シーンは大きく変わっていたかもしれない。このあたりは歴史上の“if”ということになるのだろう。
パートナーのスティングは、MSWA―UWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション=MSWAから団体名を改称)に残留し、ルーキー時代のリック・スタイナーとタッグチームを結成。UWFがNWAクロケット・プロに吸収合併されるとNWAクロケット・プロと再契約を交わし、NWAクロケット・プロがターナー・グループに買収(1988年11月)されると、こんどは新団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)所属となった。
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