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ビンスとフレアーのビジネスライクな友情――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第131回

 フレアーはWWE入団から8カ月後の1992年1月、“空位”となっていたWWE世界ヘビー級王座の新チャンピオン決定戦としておこなわれた“ロイヤルランブル”(1992年1月19日=ニューヨーク州オーバニー)に優勝し同王座を獲得。“レッスルマニア8”同年4月5日=インディアナ州インディアナポリス)で“マッチョマン”ランディ・サベージに敗れベルトをいったん手放した。  “レッスルマニア8”で“引退ドラマ”を演じたハルク・ホーガンは、その去就をグレーゾーンにしたままWWEのリングから去っていった。ホーガン不在となったポスト“レッスルマニア”の新シーズンの主人公をつとめたのはホーガンとほぼ同世代のフレアーとサベージのふたりだった。  1949年生まれのフレアーはこの時点ですでに43歳で、1952年生まれのサベージも40代に手が届きつつあった。ビンスにとって、フレアーとサベージはワンポイント・リリーフ的な立場を演じることのできるスーパースターで、知名度が高く、ある一定レベルの観客動員力が計算できるかわりに長期的なプランニングの立てにくいベテランだった。  ビンスはフレアー対サベージの定番カードをハウスショーのメインに設定し、これと同時進行でアルティメット・ウォリアー、セッド・ジャスティス、ブリティッシュ・ブルドッグら次世代グループの“大化け”に期待をかけたが、世代交代はそれほどスムーズにはいかなかった。  “ステロイド疑惑”に対する自浄力をアピールする目的で導入されたドーピング検査で陽性反応(複数回)が出たジャスティスは、検査結果を不服としてWWEを退団。この年の夏から秋にかけてホーク・ウォリアー、テキサス・トルネード(ケリー・フォン・エリック)、ジミー・スヌーカといったトップグループ数人が同じ理由で出場停止処分となり、アナボリック・ステロイドの代用としてHGH(ヒト成長ホルモン)を投与していたとされるウォリアー、ブルドッグの2選手も解雇通告を受けた。  それまでタッグ部門で活躍していた“ヒットマン”ブレット・ハートとショーン・マイケルズが本格的にシングルプレーヤーに転向し、WWE世界王座へのトップコンテンダーのポジションに急浮上してきたのもちょうどこのころだった。
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そんななかでフレアーは…
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