更新日:2017年11月30日 15:20
スポーツ

“1984体制”から10年後のWWE――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第147回

 そんななか“ステロイド裁判”というひじょうに大きなスキャンダルがWWEを襲った。米司法省は約20カ月間におよぶ捜査活動をへて1993年11月、ビンスとWWEの親会社タイタン・スポーツ社(当時)を指定薬物アナボリック・ステロイドの販売・流通とその共同謀議の容疑で起訴。予審の罪状認否でビンスとタイタン・スポーツ社が起訴事実を全面的に否認し、公判(1994年7月)での審理が決定した。  1994年のPPV第1弾、1・22“ロイヤルランブル”(ロードアイランド州プロビデンス、シビック・センター)から春のスーパーイベント、3・20PPV“レッスルマニア10”(ニューヨーク州ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン)までの連続ドラマの焦点は、WWEの主役の座をめぐるブレットとルーガーの主導権争いだった。  ビンスは“レッスルマニア10”の大舞台でルーガーにかつてのホーガンのようなポジションを与えようとしていたとされるが、アメリカじゅうのマスメディアが機関銃を構えて待っている“ステロイド裁判”を数カ月後に控えての“歩くステロイド”ルーガーの起用プランにはWWE首脳部からも慎重論があがった。  ブレットは“ロイヤルランブル”と“レッスルマニア10”をつなぐ、まったく新しいストーリーラインを練っていた。それはふたつの異なるドラマの同時進行だった。(つづく)
斎藤文彦

斎藤文彦

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