ビンス無罪“ステロイド裁判”エピソード03=ビンスとザホリアン医師――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第156回
オシェー検事が事件の核心部分に踏み込んだのはここからだった。
「あなたは1988年にパターソンを通じてビンス・マクマホンと会い、ある会話を交わしましたね」
「はい。ハーシーの試合会場でのことです。1988年春です。わたしはパターソンから『ビンスがキミに用事がある』との呼び出しを受けました」
「その“用事”とは?」
「ミスター・マクマホンから『あなたはレスラーにステロイドを売っているのか』と質問され、わたしは、そうですと答えました。もし、わたしが選手たちにステロイドを供給しなくなった場合、選手たちはブラック・マーケットからそれを購入するでしょう。不純物が混入した危険な薬物を買ってしまう可能性もあります。わたしが処方しているものは安全な薬剤ですとお伝えしました」
「そのときのマクマホンの対応は?」
「わたしが(選手にステロイドを)売るのをやめましょうかとたずねると、ミスター・マクマホンは『やめなくていい』と答えたと記憶しています」
「マクマホン自身があなたからステロイドを購入するようになったのはいつごろですか?」
「その会話から3、4カ月後だったと思います。時期はおぼえていませんが、(処方したステロイドの)量ははっきりとおぼえています。1サイクル分でした。デカドラボリンの小瓶が12本。テストステロンのボトルが3、4本。HCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン=ステロイドのサイクル投与が終了したあとに使用するホルモン剤)の小瓶が3、4本です」
「マクマホンがあなたに電話をかけ、ステロイドを注文したのですか」
「ミスター・マクマホンと直接、電話で話したことはありません。彼の秘書(エミリー・ファインバーグ=検察側の証人として出廷予定)から注文を受け、宅配便をオフィスに送ったことは何度かあります。それがミスター・マクマホンのものだったか、ミスター・ボレア(ハルク・ホーガン)のものであったかは記憶していませんが、ひとつのパッケージに7、8サイクル分のステロイドを梱包したこともありました」
ステロイドの1サイクルとは通常、6週間から12週間のプログラミングによる集中投与をいう。7、8サイクル分だと1年から1年半の投与を想定した備蓄ということになる。
薬事法の一部が改正され、医療目的以外でのアナボリック・ステロイドの使用とその販売・流通がフェロニー(重罪)に指定されたのは1988年11月18日。いっぽう、ペンシルベニア州体育協会は1989年春に「プロスポーツの試合会場に医師が待機」とする州条例からプロレスを除外した。この条例改正によりザホリアン医師は体育協会が任命するリングサイド・ドクターという肩書を失った。
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