ビンス無罪“ステロイド裁判”エピソード20=Not Guilty無罪――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第173回
タイタン・スポーツ社は当時、ビンスがその株式100パーセントを保有する“Sコーポレーション”だったため――WWEが株式を公開してニューヨーク市場に上場するのはこの裁判から5年後の1999年――、ビンスからタイタン・スポーツ社への規制薬物の販売・流通、タイタン・スポーツ社からビンスへの規制薬物の販売・流通とする罪状についてはすべて無効となった。
“4・13パッケージ事件”について検察サイドが提示した証拠は明らかに不十分なものだった。オシェー検事はビンスの元秘書のエミリー・ファインバーグ氏がタイタン・スポーツ社勤務時代に使用していたという手書きのノートを“物的証拠”としたが、証人として出廷したファインバーグ氏の記憶はあいまいな部分も多く、ファインバーグ氏のあとで証言台に立ったハルク・ホーガンはそのファインバーグ氏の証言の一部を否定した。
また、ファインバーグ氏が「ビンスの運転手だったジム・スチュワート氏がホーガン用のステロイドをメドーランズかナッソー・コロシアム、あるいはマディソン・スクウェア・ガーデンに届けた」と証言した“10・24パッケージ事件”に関しても、ホーガンは「その件については記憶にありません」と否定した。
1989年10月に開催されたナッソー・コロシアム(ニューヨーク)でのハウスショー興行の日時が、タイタン・スポーツ社に宅配便が配達された10月24日の4日まえの10月20日だったという事実もオシェー検事が描いた事件のシナリオをくつがえすものだった。検察サイドは事件の立証に必要なこのあたりのデータの積み重ねの作業を怠った。
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