ビンス無罪“ステロイド裁判”エピソード17=B・J・スタッドの証言――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第170回
※全20話のシリーズとして“ザ・ステロイド裁判”をお届け。この裁判はいまから22年まえの1994年7月、ニューヨーク州ユニオンデールの連邦裁判所で公判がおこなわれた刑事裁判である
公判第2週、4日め(1994年7月14日)は検察サイドが召喚した重要な証人がたてつづけに出廷した。
午前中の弁論でハルク・ホーガンは1970年代後半から10数年間にわたるステロイドの常用を初めて公の場で認めたが、その販売・流通と販売・流通のための共同謀議については「(ステロイドの)購入と使用は個人の選択。代金は自分で支払った」と証言し、ビンス・マクマホンとタイタン・スポーツ社(WWEの親会社=当時)の関与を否定した。
ホーガンのすぐあとに証言台に立った検察側の証人は、製薬会社“ラグビー・ダービー”のロバート・ガース営業部長だった。ガース氏は、ジョージ・ザホリアン医師が1988年に2403ドル分、1989年に1万132ドル分のステロイドを同社から購入したと証言した。
ショーン・オシェー検事は、ザホリアン医師が購入したステロイドの量が1988年から1989年の1年間に4倍に膨れ上がっている点を強調したが、弁護側のジェリー・マクデビットWWE顧問弁護士は「1988年11月の法改正後、医師が発注する薬品の量を監視しなかった製薬会社は無責任」と同社の対応を非難した。
この日、検察側が用意した3人めの証人は、元WWEスーパースターのビッグ・ジョン・スタッド(本名ジョン・ミントン)だった。この時点ですでに現役を退いていたスタッドは、ホジキン病(悪性リンパ腫)の化学療法と肺のブドウ球菌感染症を理由に弁護士と医師を通じて裁判所への出廷を拒否し、電話による証言を申請。ジェイコブ・ミシュラー裁判長はこれを認めたが、弁護側はこの措置にクレームをつけた。
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