メドゥーサがベルトをゴミ箱にポイッ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第202回(1995年編)
実況アナウンサーのエリック・ビショフ(WCW副社長=当時)、カラー・コメンテーターのボビー・ヒーナンとスティーブ・マクマイケルの3人が陣どるブロードキャスティング・ブースのまえに突然現れたメドゥーサは、まず最初に「わたしの名はアランドラ・ブレイズではありません。マイ・ネーム・イズ・メドゥーサMy name is Madusa。いままでもメドゥーサだったし、これからもずっとメドゥーサ」とコメントした。
それから「これがWWEに対するわたしの気持ち」とTVカメラに向かって語りかけたあと、おもむろにピンク色のWWE世界女子王座のチャンピオンベルトを取り出し、それをいきなりゴミ箱に捨てた。
すぐよこにいたビショフは「オー・マイ・ガーッOh My God!」と驚きの声をあげた。もちろん、これはチ密に計算された“ショック映像”で、このシーンをプロデュースしたのはほかでもないビショフ自身だった。メドゥーサのWWE退団―WCWへの電撃移籍は、これからはじまる大がかりな“引き抜きプロジェクト”のほんのプロローグでしかなかった。
“ナイトロ”は同夜、TVマッチとしてリック・フレアー対エディ・ゲレロ、“マッチョマン”ランディ・サベージ対ザ・ジャイアント(のちのビッグショー)のWCW世界ヘビー級選手権、スティング対ボビー・イートン、レックス・ルーガー対バフ・バグウェルのシングルマッチほか全6試合をオンエア。“ナイトロ”の視聴率は2.7パーセントで、“ロウ”の視聴率は2.3パーセント。生中継のぶつかり合いは0.4パーセント差でWCWに軍配が上がった。
WWEの12.18“ロウ”のTVテーピングでは、やがてスーパースターのなかのスーパースターとして一時代を築くことになる、ある“新顔”がデビューしていた――。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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