HBK政権誕生の予感@“イン・ユア・ハウス6”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第212回(1996年編)
それはビンス・マクマホンにとってWWEの近未来のイメージを決定づける重大な“人選”だった。長編ドラマはショーン・マイケルズ政権誕生へ向けて動きはじめていた。
1.21“ロイヤルランブル”で30選手出場・時間差式変則バトルロイヤルに優勝したショーンは、3.31“レッスルマニア12”のメインイベント出場権を獲得した。ビンスは“ヒットマン”ブレット・ハート対ショーンのWWE世界ヘビー級選手権をニュー・ジェネレーション路線のクライマックスと位置づけていた。
ブレットがリック・フレアーを下して“世界”のチャンピオンベルトを初めてその腰に巻いたのは1992年10月。“レッスルマニア9”(1993年4月4日=ネバダ州ラスベガス)でヨコヅナに敗れ王座を失ったブレットは、翌年の“レッスルマニア10”(1994年3月20日=ニューヨーク、マジソン・スクウェア・ガーデン)でヨコヅナから同王座を奪回した。
WWE世界ヘビー級王座はその後、ボブ・バックランド、ディーゼル(ケビン・ナッシュ)の手に渡ったが、ブレットは“サバイバー・シリーズ95”でディーゼルを下して再度、王座奪回(1995年11月19日=メアリーランド州ランドーバー)。通算3回めの王座返り咲きに成功し、WWEの主人公としてのポジションをアピールしてみせた。
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ