ビンス・マクマホンのいまそこにある危機――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第211回(1996年編)
1996年はビンス・マクマホンがいまそこにある危機を初めて実感した1年だった。
WWEは“1984体制”による全米マーケット進出プロジェクト以降、巨大化の一途をたどってきた。第二次世界大戦後、アメリカのレスリング・ビジネスに事実上のモノポリーを築いた“談合組織”NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)と全米のNWA系テリトリーは1980年代後半までにことごとく活動休止―崩壊した。
北部のメジャー団体AWA(アメリカン・レスリング・アソシエーション=バーン・ガニア派)も1991年に倒産。テキサス州ダラスのWCCW(ワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング=フリッツ・フォン・エリック派)はテネシーUSWA(ジェリー・ジャレット派)との合併で生き残りの道を模索したが、エリック兄弟がそこにはいないダラスの定期興行は1994年に消滅した。
WWEにとって、ライバル団体は“テレビ王”テッド・ターナーが倒産寸前だったNWAクロケット・プロモーションを買収して1988年11月に誕生した新団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)だけになった。
“ワールド・チャンピオンシップ・レスリング”はジョージア州アトランタの大手ケーブルTV局TBS(ターナー・ブロードキャスティング・システムズ)が毎週土曜の夕方にオンエアしていたプロレス番組のタイトルで、新会社は番組ロゴをそのまま団体のCIとしてアダプトした。
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