ミック・フォーリー インタビューPART2 意識下の暴力――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第216回(1996年編)
――“爆破マッチ”はたしかに映画に似ているかもしれません。
「デスマッチのビデオや写真は家族にはみせないようにいている、といったよね」
――ええ。
「つい2、3日まえのことなんだが、わたしがちょっと買い物に出ているあいだに息子のデューイーがクローゼットのなかからジャパニーズ・マガジンを持ち出してきて、血だらけのわたしが載っているページをしげしげとながめていた。レスリングの雑誌はなるべく子どもたちにはみせないようにしているんだが、まあ、勝手に出してきちまったんだからしようがない。わたしは彼の反応をみていることにした」
――どんな反応でしたか?
「“デスマッチ・トーナメント”がリポートされたマガジンだから、どこのページをめくってもわたしが血だらけになっているシーンばかりさ。息子は1ページ、1ページ、たんねんに写真をながめてはため息をついていた。そこにいるのはカクタス・ジャックだということはわかっていたみたいだし、家にいるダーダー(“ダディ”“お父さん”の幼児語)とカクタス・ジャックが同一人物だってこともわかっているようだった。しかし、ダーダーがなぜ血を流して闘っているかは理解できない。息子の目には、デスマッチと『バットマン』の映画が同じようなものに映っているんだ」
――日本のプロレスファンはあなたを“アメリカの大仁田”と呼んだ。
「ミスター大仁田は、観客といっしょに涙を流すことのできる男だった。みずからの肉体を犠牲にすることを恐れない男だった。わたしは“アメリカの大仁田”というニックネームを大切にしたい。彼の試合にはエモーションがあった。大ケガをしていちどは引退した、それほど体も大きくないレスラーが、あそこまで人びとのハートをつかんではなさなかったのは、観る側が“大仁田厚”を理解するだけの感性を持ち合わせていたということさ。ただのお芝居だったら、だれもいっしょに涙を流してはくれない。わたしは、日本の観客がわたしのなかにミスター大仁田と同じエッセンスを発見してくれたことを誇りに思う」
――大仁田的エッセンス、ですね。
「デビッド・キャラディーンをおぼえているかい? 昔、テレビでやってた『燃えよカンフー』だよ。彼がバイオレンスにうったえるのは、そうしなければ心の平安を勝ちとることができないときだけだった。暴力のための暴力であってはならない、ということだ」
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ