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リングマスターからストーンコールドへ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第220回(1996年編)

 1996年から1998年にかけて、もっと正確にいえば1996年6月10日から1998年4月13日まで1年10カ月間連続でWWEの“マンデーナイト・ロウ”はWCWの“マンデー・ナイトロ”に番組視聴率で大敗を喫することになる。これがのちに“屈辱の83週間”としてプロレス史に刻まれる、ビンスが体験した初めての敗北だった。  WCWは前WWE世界ヘビー級王者ディーゼル(ケビン・ナッシュ)、前インターコンチネンタル王者レーザー・ラモン(スコット・ホール)の“引き抜き”に成功し、ナッシュとホールの弟分123キッド(ショーン・ウォルトマン=WCWでのリングネームはシックス)もWCWに電撃移籍。水面下では“ヒットマン”ブレット・ハートにも接触していた。  “テレビ王”テッド・ターナー・グループの資本をフルに活用した大がかりな“引き抜きプロジェクト”は、WWEのバックステージのムードを一変させた。かんたんにいえば、WWE契約選手のなかでその待遇に不満を感じていた選手たちは、WCWという交渉可能なオプションの存在を知ってしまったということだった。  “レッスルマニア12”(1996年3月31日=カリフォルニア州アナハイム)のメインイベントはB・ハート対ショーン・マイケルズのWWE世界戦“アイアンマン・マッチ”。ストーンコールドがストーンコールドとして“大化け”するまでにはいましばらくの時間が必要だった。(つづく)
斎藤文彦

斎藤文彦

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