更新日:2017年12月08日 20:57
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「切腹」の作法って知ってる? 腹を切っただけではなかなか死ねない…【歴女内科医・まり先生の歴史診察室】

勝家以上に激しい信孝の死に様

 信孝は、織田信長の三男として永禄元年(1558年)に生誕。次男の信雄より20日早く生まれたのですが、母の身分が低く、報告が遅れたことで三男にされてしまったと伝わってます。  それがなぜ柴田勝家との関係が深いのか。と申しますと、実は勝家は、信孝の烏帽子親でもあるのです。  烏帽子親とは、元服の際に行われる儀式で、実質的には後見人という立場を表明するもの。そしてその後、信孝は、紀州征伐や荒木村重討伐などで実績を残していきました。  しかし! これまた勝家と同様に、本能寺の変では光秀討伐で秀吉に遅れを取り、山崎の戦いでは名目上だけの総大将に終始。  来たる賤ヶ岳の戦いでは、岐阜城で兄の信雄に囲まれたまま何もできず、秀吉に降伏するしかなかったのです。  敗戦後、信孝には呆気なく自害の命が下されました。  死に場所は、その昔、源義朝(頼朝のお父ちゃん)が部下に裏切られて殺されたお寺。いわくつきの場所で腹を切った信孝は、そのとき思わぬ行動に出ます。  なんと、掴みとった自分の内臓を床の間の掛け軸に投げつけたというのです。勝家以上に激しいエピソードですね。  というか、もしかしたら知人が見たという漫画は、信孝と勝家をミックスしてアレンジしたのかもしれません。ともかく信孝の辞世の句は、その死に様を表すかのように激しいものでした。 「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」  実際、ハラワタを掴んで投げるなんてのは、相当な怒りを持ったツワモノにしかできません。  そもそも内臓を掴める程に大きく腹を切れば、痛みや出血などでショックを起こすことがありますし、内臓を支配している迷走神経が刺激されると「血管迷走神経反射」を起こし、血管の拡張により脳血流が保てなくなって失神する可能性があります(採血した後に倒れるあれです)。  ただし、副交感神経である迷走神経と逆の作用をもつ『交感神経』が興奮しまくっていれば、これをしのげる可能性もあり、信孝のケースもそうだったのかもしれません。  いずれにしても私は内科医ですので、切腹した人を見たことがございません。ビールと一緒に食するホルモンは大好きなんですけどね……なんて〆たら怒られるかしら。 イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医) <コンテンツ提供/BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)> 【BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)】 日本で初めて歴史をテーマにしたポータルニュースサイト。今回の記事の他、以下のような記事を掲載。 ●真田昌幸の最期は「うつ病」気配が濃厚だった!? 真田幸村の父にして稀代の名将を蝕んだ心の病 ●家族にドヤ顔したい 武田信玄「風林火山」の意外すぎる3つの真実
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