石田三成が関ヶ原の戦いに負けたのは下痢だったから!? 【歴女内科医・まり先生の歴史診察室】
― まり先生の歴史診察室 ― 忍者とメガネをこよなく愛する歴女内科医・馬渕まりが、偉人たちを歴史的状況から診察し医学に基づいてまじめに論じる! ●今回のテーマは「石田三成と下痢」大河ドラマ『真田丸』で関ヶ原の戦いが一瞬で終わったことが話題になりましたね。 敗戦後、西軍の実質的大将である石田三成は伊吹山中へ落ち延び、数日後に捕らえられますが、実はこの戦いの趨勢に、ある病気が影響したかもしれない――という話をご存知でしょうか?
石田三成は永禄3年(1560年)の近江生まれ。天正2年(1577年)頃から父・兄と共に羽柴秀吉に仕え始めました。 奉公前の三成がまだ寺の小僧だった頃、当時長浜城主である秀吉に3杯のお茶を出した逸話は戦国ファンには大変有名でしょう。鷹狩りでノドが乾いていた秀吉が寺に立ち寄った際、最初はぬるいお茶、次にやや熱いお茶、そして最後に熱いお茶を出し、その細やかな心遣いを買われた――というものです。後に加藤清正などと揉めることを考えると、このときの気遣いはドコいった?と言いたくなってしまいますが、それはさておき……。 秀吉の側近として頭角を現した三成は、その後、『太閤検地』や『刀狩り』などの政策を立案実行。文禄4年(1595年)には秀吉から近江佐和山19万4,000石を与えられ大名としても出世しております。ただ、イメージとしては凄腕の官僚ってところでしょうか。実際、五奉行の一人ですしね。 一方で戦場での槍働きがイマイチとされていて、脳筋バリバリな武将には嫌われており、特に朝鮮出兵では現場との意見が折り合わず、加藤清正らとの対立関係は非常に根深いものとなってしまいました。3杯のお茶エピソードから見ると気遣いの人だった!?
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