AOWの試作品“ショットガン・サタデーナイト”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第238回(1997年編)
“マンデー・ナイトロ”が毎週2時間ワクの生中継だったのに対し、“マンデーナイト・ロウ”が生中継と録画バージョンを隔週ペースでオンエアしていたことが視聴率低迷の原因のひとつとされ、ビンス・マクマホンは毎週土曜の夜11時という時間帯にも新番組を放映することでこの状況の打破を図った。
WWEサイドのリサーチによれば“マンデー・ナイトロ”の視聴者層(というよりもnWoファン)はおもにティーンエイジから20代前半で、“マンデーナイト・ロウ”の視聴者層は20代から30代前半。AOW路線の導入はターゲット視聴者の年齢層の引き上げにあった。
新番組“ショットガン・サタデーナイト”の第1回放映分は1997年1月4日、マンハッタンのナイトクラブ“ミラージュ”の特設リングから全米生中継がおこなわれた。番組ホストはビンスとサニーのふたりで、番組内容はTVマッチとオトナ向けコメディの2本立てという構成だった。
“ショットガン・サタデーナイト”の第2回放送分(1月11日オンエア)は中継ロケーションをタイムズスクウェア45丁目の“オールスター・カフェ”に移動。第3回放映分(1月18日オンエア)は、1月のPPV“ロイヤルランブル”の前日、テキサス州サンアントニオのナイトクラブ“デニム・ダイヤモンド・クラブ”特設リングから全米生中継がおこなわれた。
同番組はニューヨークとニューヨーク近郊ではチャンネル53(ケーブル)が生中継でオンエアしたが、それ以外の地域ではWWEと全米各地のケーブル局との個別のシンディケーション契約だったため、東海岸標準時間、セントラル標準時間、マウンテン標準時間、西海岸標準時間という4つの時間帯でそれぞれ番組の放映時間が微妙に異なるという現象が生じた。
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