更新日:2017年11月30日 14:46
スポーツ

シャッフルされた長編ドラマ=アテテュード――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第237回(1996年編)

イン・ユア・ハウス12

ミニPPV「イン・ユア・ハウス12」のメインイベントは、サイコ・セッド対ブレット・ハートのWWE世界戦。ブレットが戦列復帰したとたん、ライバルのショーン・マイケルズはヒザの故障を理由に“欠場”を希望(写真は「イン・ユア・ハウス12」PPVオフィシャル・プログラム表紙より)

 ショーン・マイケルズの突然の王座転落と“大穴”サイコ・セッド政権誕生、そして“ヒットマン”ブレット・ハートの8カ月ぶりの戦列復帰でどうやらWWEの長編ドラマはいったんシャッフルされた。  1996年の最後のPPV、12.15“イン・ユア・ハウス12/イッツ・タイム”(フロリダ州ウエスト・パーム・ビーチ)は、ウエスト・パーム・ビーチ・オーデトリアムに5708人の観客を動員した。  WWEはこの年、“ビッグ5”といわれる“ロイヤルランブル”“レッスルマニア”“キング・オブ・ザ・リング”“サマースラム”“サバイバー・シリーズ”の5大PPVに加え、ミニPPV“イン・ユア・ハウス”を7イベント開催。年間12大会のPPVをプロデュースした。  PPVイベントの受信料金(当時)は“ビッグ5”が29ドル95セントで、“Bショー”とカテゴライズされる“イン・ユア・ハウス”シリーズが19ドル95セント。ライバル団体WCWも同年、PPV12大会を開催したが、ハルク・ホーガンが出場する大会(27ドル95セント)と出場しない大会(24ドル95セント)とで2パターンの受信料金が設定されていた。1997年からは“第3団体”ECWもついにPPV市場に参入してくることになる。
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“有料放映”とその市場の拡大がプロレス経済を根底から変えた
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