“短命”に終わったHBK政権――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第285回(1998年編)
1996年にはマイケルズの親友だったケビン・ナッシュ、スコット・ホール、ショーン・ウォルトマンらクリックKliq=派閥のメンバーがライバル団体WCWに移籍したが、ショーンだけは残留を選択してビンスの信用を勝ちとった。
しかし、それでもショーンにとってブレットの存在は“障害”となり、運命の“モントリオール事件”に至るまでの1年半はリングの内側と外側でふたりの“暗闘”がくり返された。
ショーンはファンからもレスラー仲間からももっとも愛され、またもっとも憎まれたスーパースターだった。リング上のキャラクターとプライベートでの顔がまったく変わらない“スター人格”の持ち主といわれるショーンは、“レッスルマニア14”を最後に現役生活にひとまずピリオドを打ち、ホームタウンのテキサス州サンアントニオに帰り、敬けんなクリスチャンとしての生活をはじめた。
ちょっぴりオトナになったHBKがリングに戻ってくるのはそれから4年5カ月後、2002年8月のことだった――。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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