“短命”に終わったHBK政権――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第285回(1998年編)
ショーンとブレットの“確執”はまる5年もつづいた。ブレットがジム・ナイドハートとのコンビ、第1期ハート・ファウンデーションを解散してシングルプレーヤーに転向したのは1991年。翌年、リック・フレアーを下して初めてWWE世界王者となった(1992年10月12日=カナダ・サスカッチェワン)。
ショーンがタッグチーム、ザ・ロッカーズ(パートナーはマーティ・ジャネッティ)を解散してシングルプレーヤーに転向したのは1992年。ブレット対ショーンの最初のタイトルマッチは同年の“サバイバー・シリーズ”(1992年11月25日=オハイオ州リッチフィールド)で早くも実現した。
ショーンとブレットの闘いにはビンス・マクマホンが考えるところのスポーツ・エンターテインメントのほんとうの定義を知るための大いなるヒントが隠されていた。
スポーツ・エンターテインメントとは、スポーツであると同時にエンターテインメントであり、エンターテインメントであると同時にスポーツであるという、矛盾しているようにみえてじつは矛盾していない独特のダブル・スタンダードを意味していた。
プロレスにはスポーツとしての“勝敗”とエンターテインメントとしての“勝敗”とが同時に存在していて、このふたつがからみ合ってひとつの結論がはじき出される。
ハルク・ホーガンとそのライバルのステロイド系大型ヒールとの闘いに集約される“80年代スタイル”に終止符を打ったビンスは、あるときはブレットを選択し、またあるときはショーンを選択した。“レッスルマニア12”(1996年3月31日=カリフォルニア州アナハイム)のメインイベントにラインナップされた“60分アイアンマン・マッチ”では、ショーンがブレットからフォール勝ちをスコアし、初めてWWE世界王座をその手中に収めた。
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