更新日:2017年11月30日 14:26
スポーツ

“短命”に終わったHBK政権――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第285回(1998年編)

WWEオフィシャルRAWマガジン

“HBK”ショーン・マイケルズは“レッスルマニア14”でストーンコールドに敗れてWWE世界ヘビー級王座を失った試合を最後にWWEのリングから姿を消した(写真はWWEオフィシャルRAWマガジン1998年1月号表紙より)

 通称HBKこと“ハートブレイク・キッド”ショーン・マイケルズは“レッスルマニア14”(1998年3月29日=マサチューセッツ州ボストン、フリート・センター)での“ストーンコールド”スティーブ・オースチンとのタイトルマッチを最後にWWEのリングから姿を消した。  宿命のライバルであるブレット・ハートとの最後の闘いとなった前年の“サバイバー・シリーズ”(1997年11月9日=カナダ・モントリオール)での“問題”のWWE世界ヘビー級王座獲得シーン――モントリオール事件――からわずか4カ月で王座転落。いまになってみると、HBK政権の崩壊はあまりにもあっけなかった。  長期欠場―事実上の引退の直接の原因は1.18“ロイヤルランブル”サンノゼ大会でのアンダーテイカーとの“棺おけマッチ”で腰を故障したためとアナウンスされたが、持病の椎間板ヘルニアの悪化ですでに数カ月まえからドクター・ストップがかかっていた。  どうやら、時代はものすごいスピードで動きはじめていた。やっとのことで主役の座をゲットしたばかりのショーンをストーンコールドがすぐ後ろから追いかけてきた。ストーンコールドのそのまた後ろにはトリプルHとザ・ロックが立っていた。ニュー・ミレニアム=新千年紀のキーパーソンズが顔をそろえはじめてた。
次のページ right-delta
ショーンとブレットの“確執”は5年もつづいた
1
2
3
おすすめ記事